エンタメなしでは生きてけない!!

これは面白い!!これは人にすすめたい!!そんなエンタメ作品の紹介をしていきます!

『わたしは、ダニエル・ブレイク』イギリスの社会保障制度の狭間で苦悩する人たちの物語

※このブログはアフィリエイト広告を利用しています。記事中のリンクから商品を購入すると、売上の一部が管理人の収益となります。

今回紹介する映画は2016年に公開された『わたしは、ダニエル・ブレイク』です。監督はケン・ローチ。2019年に公開された『家族を想うとき』の監督もされてますね。主演のダニエル・ブレイクをデイヴ・ジョーンズ。ブレイクが出会ったシングルマザーのケイティをヘイリー・スクワイアーズが演じています。

 

本作は、2017年の英国アカデミー賞で監督賞や作品賞にノミネート。2016年のカンヌ国際映画祭では監督のケン・ローチがパルムドールを受賞するなど評価の高い作品です。

 

あらすじ

長年大工の仕事で生計を立てていたダニエル・ブレイクだったが、心臓病にかかってしまいドクターストップを言い渡されてしまいます。妻には先立たれ頼れる身内もないダニエルは支援手当をもらうために役所に行き、カウンセラーと面談をするのですが、就業可能を言い渡され手当てはおりません。

 

しかたがなく今度は失業した人向けの求職手当の申請に行くも、こちらでは就労可能な人のための手当てであると言われてしまいます。そんな時に道に迷って面談の時間に遅刻してしまい、給付金が下りなくなってしまったシングルマザーのケイティたちとその子供たちと出会う。ダニエルとケイティたちは厳しい状況ながらも親交を深めていくが、徐々に彼らは追い詰められていってしまうのです。

 

※ここからはネタバレありなのでよろしくお願いします

 

感想

制度の矛盾が人を苦しめたり殺してしまう現実があることに気づかされる

あらすじにも書きましたが、本作品は病気で働けなくなったダニエルや、シングルマザーのケイティたちが社会保障制度の抱える矛盾に直面しながらも、どうにか現状を抜け出そうとする物語です。

 

個人的には、ダニエルが制度の間でたらい回しにされるところは「これ自分だったら相当苛立っただろうなぁ」と思いました。

 

まず、ダニエルは心臓病で働けないとドクターからきちんと診察を受けているにもかかわらず、役所からは就労可能と判定されてしまう。いやいや、そこはお医者さんの診断書とか出てるだろうから、それを提出させて判断すればいいじゃんと思いました。なんか、簡単なQ&Aみたいなものに答えていくだけで、働けるかどうか判定されちゃうのは違うだろと。

 

じゃあ、しかたがないからと今度は失業者向けの求職手当を申請しに行ったら、「ここは就労可能な人向けですよ」なんて言われちゃう。いやっ、自分は病気だけど働けるって判定されちゃって給付金も出ないから仕方がなくこっちに来たわけですよ。でも、役所はそんな事情なんてききもしない。どーすりゃいいんだと悪態の一つもつきたくなります。

 

おまけに、求職手当をもらうためには週に35時間以上就職活動をしなければならない。まぁ、面接受けたりオンラインの就活サイトに登録したりとかしろって言われるわけですよ。でも、ダニエルは医者からは働いちゃダメって言われてるから、一応形だけの就活をするわけです。手書きの履歴書をもって、「この辺で仕事はないか?」なんて歩き回っていく。一応律義に就活をするわけですよ。

 

で、役所に改めて申請しに行ったら「これじゃあ書類が足りない」と言われる。どういうことか?ちゃんと求職活動を行ったという証拠は?なんていわれちゃう。履歴書をその会社に出した証拠とか面接を受けた証拠とかを出せと。はぁ?ってなりません?はっきりいって、馬鹿らしくなっちゃうわけですよ。給付金もらうためにここまでしなきゃいかんのかと。

 

ネタバレありなので言ってしまいますが、この映画のラストでダニエルは心臓発作で死んでしまうんですよね。ダニエルはもともと妻の介護をしていたということもあって、そこまでたくわえがない中、仕事もできず給付金を申請するもたらいまわしにされ、意味のない就職活動をし、しまいには家財道具を売るぐらいにまで困窮することになりました。当然、心身ともにストレスもあったはずです。

 

たらればですけど、もしもすんなり給付金が下りて、病気を治すことに専念できていたとしたら、ダニエルはすぐに死ぬなんてことはなかったのではないでしょうか。彼は明らかに制度の矛盾に振り回されて死んでしまったと僕は思います。

 

制度の柔軟性が欠けるのは仕方がない部分もある

まぁ、映画を観ているとそうした制度の矛盾とか、その制度に基づいて機械的に対応する役所の職員とかにイライラしたりするわけですよ。ちょっと騒いだら警察呼ぶぞとか「いやっ、もうちょいちゃんと話聞けや」と思ったりね。本作に出てくる役所の人たちの対応についてけっこう不親切に感じてしまう部分は正直ありました。

 

とはいえ冷静になって考えてみると、国の制度というのは万人に向けたものなので、どうしても融通がきかなかったり柔軟性に欠けるのも仕方がない部分なのかなと。個別の事情に合わせて役所が1から10まで対応していたら、おそらくさばききれないし、結果として多くの人が困ってしまうことにもなりかねない。となると、役所の職員も決まった制度に基づいて、機械的にある程度割り切った対応せざるをえないんだろうなぁと。別にダニエルが憎いとかじゃなくてね。

 

その辺りの機械的な制度と、そこにうまく対応できない人をどう救うのか。本作では貧困層に食料などを配るフードバンクの存在が描かれてましたが、そうした官だけじゃなく、NPOや様々な団体が制度の仕組みからこぼれ落ちた人たちにアプローチしていく。改めてそうした人たちの活動の大切さに気付かされましたね。

 

とはいえ、ダニエルのケースは矛盾しすぎてるので制度の不備だろうとは思っちゃいますけどね。

 

人間の尊厳を失わせるなというメッセージが刺さる

ダニエルは制度の狭間でたらい回しにされ、だんだん自分の尊厳が失われていくのと感じてしまいます。そりゃ、そうですよね。ダニエルに対して制度や役所の職員はどこまでも機械的な対応しかしませんから、目の前のダニエルという人間のことを全く見ていない。あくまで、役所に来た客であり利用者でしかないわけです。もちろん、役所の仕事柄そうならざるを得ないことは前述したとおりですが、あまりにも機械的で血の通った人間からすると冷たく感じてしまいます。

 

そんな扱いにうんざりしたダニエルは、物語の終盤にある行動を起こします。本作のタイトルにもつながる部分ですが、とある行動起こすことで「俺はダニエル・ブレイクという一人の人間なんだぞ」という主張をするわけです。

 

ここの部分にはすごく共感しちゃいましたね。俺はここで生きてるんだぜ。俺を人間として扱えよと。さんざん制度に振り回されて、自分の尊厳を踏みにじられていると感じた男の精いっぱいの叫びですよ。そんな彼の主張にはグッとくる人も多いのではないでしょうか?

 

まとめ

今回は『わたしは、ダニエル・ブレイク』という作品を紹介してみました。

 

労働者や、貧困層の現実が描かれているので、観ていると現実は厳しいし、社会は冷たいなぁと思ってしまうかもしれません。その一方で、人のつながりを感じられる作品だし、ダニエルやケイティのように孤立しがちな人たちを支えるためのヒントも詰まっているのではないかと思います。興味がある方はぜひご覧になってみてください。