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『キング・オブ・コメディ』有名になりたい男の狂気と悲しみを描いた衝撃作!!

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2019年に大ヒットした『JOKER』にも影響を与えたと言われる、マーティン・スコセッシ監督の『キング・オブ・コメディ』を観てみました。

 

 

監督はマーティン・スコセッシ。脚本は ポール・D・ジマーマン。コメディアンとして有名になりたい男、ルパート・パプキン役をロバート・デニーロ。パプキンが憧れるコメディアンのジェリー・ラングフォード役をジェリー・ルイス。ジェリーの熱狂的なファンであるマーシャをサンドラ・バーンハードが演じています。

 

※ネタバレありなのでよろしくお願いします。

あらすじ

コメディアン志望のルパート・パプキンは、コメディアンとして活躍するジェリー・ラングフォードに憧れていました。ある日、出待ちの熱狂的なファンに襲われかけたジェリーをルパートが救い出します。ここがチャンスと言わんばかりに、ジェリーの車の後部座席に乗り込んだルパートは、自分がコメディアン志望であること、自分には才能があること、ジェリーの姿を見てコメディアンになる決意をしたことを話し続けます。そんなルパートに対して「事務所に電話してきなさい」と伝えるジェリー。この会話をきっかけに、ルパートのとんでもない一面が明らかになっていくのです。

 

感想

今の社会に通じる、行き過ぎた承認欲求の恐ろしさを描いた作品!!

『キング・オブ・コメディ』というタイトルからもしかしたら、これはコメディ映画なのではないかと勘違いする人もいるかもしれません。まず、言っておきたいのは「これはコメディ映画じゃない!ゲラゲラと笑いたかったら別の作品を観た方がいいかもしれない」ということです。

 

じゃあ一体この作品はどういう作品なのか?簡単に言うと「承認欲求が行き過ぎると恐ろしいことになる」のを描いてるんですよね。この作品ではスターに憧れる人たちや、彼らのように大勢の人たちに認められたい心理を描いています。この作品は1983年の作品ですが、これって今の社会にもかなり当てはまりますよね。今の社会もそうじゃないですか。人からイイねされたいバカッターが自分の働いてる店の冷蔵庫に入ってるのをSNSに投稿しちゃったり、登録者数を増やしたいユーチューバーが法律違反になるようなことをやっちゃう。みんな、注目されたい、人から認められたいっていう承認欲求にぶん回されちゃってるわけですね。そういう行き過ぎた承認欲求に取りつかれると恐いよねっていうのスコセッシ監督は描いてます。社会で起こっていることを的確にとらえています。そして、そんな承認欲求に取りつかれた象徴的な人物が、本作の主人公、ルパート・パプキンという男なんですね。

 

パプキンは別にコメディアンとして人を笑わせたいわけではありません。そうじゃなくて、「人から称賛されたい」だけなんです。入口が違うんですよね。コメディが好きで人を笑わせたいからやっているわけじゃない。単に有名になって、人からワーキャー言われて認められたい。地位や名声を得たいわけです。それは物語の要所要所で見て取れます。

 

まず、憧れのジェリーから「この業界も下積みが大事なんだ」と丁寧にアドバイスを受ける場面があります。要するにかなり遠回しに「いきなり番組には出れないしスターにはなれないよ」と言われてるわけですね。その言葉に対してルパートは「それはわかるけど自分はもう34歳なので、自分の芸をあなたに聞いてもらって意見を聞きたい」というんですね。ここでジェリーに引っ張り上げてもらいたいという思惑が透けて見えるわけです。

 

でも、一方でこういう見方もできるかもしれません。もしかしたらルパートは長い間コメディアンとして下積みをしてきたんだけど、なかなかチャンスが回ってこない。だからジェリーと接点ができたこの機会を逃すまいと考えて直談判をした。だとしたら、ルパートの気持ちもわかりますよね。確かに車に乗り込むのはやりすぎかもしれないけど、それだけ必死なんだなとも思えるわけです。

 

ところが、物語が進むにつれてルパートがコメディアンとしての下積みを全く経験していないことが明らかになってきます。では、彼は一体何をしているのか?なんとジェリーが出演している番組のゲストやジェリーのパネルを作って、彼らに向かってひたすら話をしているんです。そして、一人でゲラゲラ笑ったりリアクションをとったりしている。

 

その光景に滑稽さよりも恐さを感じてしまうわけですけど、さらに恐ろしいのが番組の観客たちをパネルにしてその前でトークをするシーン。ルパートはそのパネルに向かってひたすら話続けます。ルパートが話すたびに人々のゲラゲラと笑う声が聞こえてくるんですね。でも、周りには生身の人間なんていない。じゃあ、なぜその声が聞こえてくるのか?それは妄想なんです。彼の妄想の中では、自分は人々から爆笑をとるまさに「キング・オブ・コメディ」なわけです。

 

これって下積みと言えるでしょうか?とても言えませんよね。コメディアンを目指すのであれば、舞台に立ってネタを披露して、客からの反応をみたり、他のコメディアンの舞台を見て「こういうのがウケるのか」と勉強するじゃないですか。でも、ルパートはそういうことは一切やらない。それはなぜか?何度もいうけど、彼は別にコメディアンとして舞台に立って人を笑わせることに喜びを感じるわけじゃないからです。大勢の観客やテレビを観ている人たちから称賛され認められたいだけなんです。コメディであったりコメディアンになるのはそのための手段でしかないんですね。

 

そんなわけでルパートにはこれといった芸はありません。そのため、ジェリーの番組でアシスタントプロデューサーをしている、キャシー・ロングという女性に自分のネタを聞かせても、「もっと勉強が必要です」と軽くあしらわれてしまう。

 

スターになってみんなから認められるという目論見があっさり崩れてしまうわけです。元々、暴走気味だったルパートですが、ここからさらに彼の行動はエスカレートしていってしまいます。

 

ここで、もう1人重要な人物の紹介を。この物語にはマーシャという女性が登場します。彼女はジェリーの熱狂的なファン・・・と言えば聞こえはいいですが、仕事場に向かうジェリーを付け回しちゃうような今でいうストーカーなんですね。彼女はジェリーに愛されたい認められたいと思っている。

 

大勢の人々に認められたいルパートと、ジェリーに認められたいマーシャ。認められたい人数や対象は違いますが、二人とも承認欲求に振り回されてしまっているんですね。そして、その二人が自分たちの欲求を満たすために結託し、恐ろしいことをしでかしてしまうのが、物語の中盤から終盤にかけてです。

 

ここから先を言っちゃうと、おもしろくなくなるので続きは本編で。

 

あまりにも承認されてこないと、過剰に承認を求めてしまうのかもしれない

ルパートもマーシャも承認されたい人たちですが、では彼らがなぜそこまで過剰に誰かから認められたいと思ってしまうのか。実は、この物語の中にヒントがあります。

 

まずルパートの場合。ルパートは妄想の中でジェリーの番組に出演します。ここでゲストが招かれるのですが、それがルパートの高校時代の校長先生だったんです。この校長先生の口から「当時は誰もルパートがこうなること(コメディアンとしてテレビに出演すること)を想像していなかった。自分たちが浅はかでルパートが正しかった。君に対して行ったことを許してほしい」という言葉が出てきます。

 

ここからわかるのはルパートは高校時代、教師やクラスメートを含めみんなから馬鹿にされていたし認められてこなかったということです。で、おそらくその時のことを相当根に持っている。じゃなきゃ、わざわざ自分の妄想の中に当時の校長を登場させて、謝罪なんかさせないわけですからね。

 

そうした過去の経験から「みんなに認められたい」という思いはどんどん膨らんでいった。その欲求が爆発したのがこの物語で描かれる一連の出来事だったのではないでしょうか。

 

一方、マーシャも人から認められてこなかった過去があります。マーシャはあるシーンでジェリーに対してこんなことを言うんです。

 

「愛してるわ。両親にも言わない言葉よ。両親も私に言ったことないわ」

 

つまり、彼女は両親から愛されてこなかった。認められてこなかったわけですね。さらに、「男性を食事に招いたこともない」とも言っていって、恋愛経験も乏しいのかもしれない。そうした、「誰か私を認めてよ」という欲求が、年上で魅力的な男性で大ファンであったジェリーに向かっていったと考えられるのではないでしょうか。

 

恐ろしくもあり悲しくもあり共感できる部分もある

実はルパートに関しては承認欲求にまみれているだけではありません。彼はかなり妄想癖がある男なんです。その妄想がなかなかえげつない。

 

  • ジェリーとランチをした
  • ジェリーに「君は天才だ、うらやましい」と才能を絶賛された
  • ジェリーが番組に出してくれるといった
  • ジェリーに別荘に招待された

 

まぁ、これも単なる妄想ならいいじゃないですか。ところが恐ろしいのは、この妄想を彼は現実だと思いこんじゃってるんですね。現実と妄想の区別がついてない。なので、お目当てのリタという女性を連れて、なんとジェリーの別荘にまで押しかけてしまう。自分はジェリーの友達なんだと思い込んで。ここまで行くともはや病的と言ってもいいんじゃないでしょうか。

 

一方、マーシャに関しても途中で精神科に通っている節があることが明らかになります。つまり、二人とも精神的な問題を抱えている可能性が高い。

 

で、僕がすげぇ悲しいというか辛いなと思ったのが、ルパートにもマーシャにも友達とかちょっと親しい知人みたいな人がいないってことなんですよね。つまり、彼らは社会的に孤立しちゃってるんです。

 

その孤立がはたして彼らの病的な部分のせいからなのか、それとも先に孤立があってだんだん病的になっていったのかははっきりしません。ただ、こうした孤立によって次のような悪循環が生まれちゃってるのではないかなと。

 

孤立しているから人から認められにくい→人から認められにくいから病的に人から認められようとする。→病的に人から認められようとするから人が離れて孤立する。

 

ルパートもマーシャもこの負のループの中をぐるぐる回っちゃってるような気がしました。このループを抜け出すのは難しいよなと。

 

ルパートたちのやってることは、はたから見ると確かにヤバいしズレてる行動なんだけど、これは彼らなりに負のループから抜け出そうとあがいている姿なのかもしれない。そう思うと、恐ろしいんだけど悲しくもあるし、自分にも当てはまる部分があるかもなと共感してしまいました。

 

まとめ

今回は『キング・オブ・コメディ』を紹介してみました。

 

承認欲求は現代病と言ってもいいかもしれません。みんな誰かに認められたい部分がある。ただ、それが行き過ぎてしまうと人はとんでもないことをするかもしれない。その恐ろしさにハッと気づかされる作品でした。ホントに素晴らしかった。

 

後は、社会的に孤立した人たちの悲哀も映し出されていて、単に狂気に取り込まれた人間の恐さを描いただけじゃないところもよかったですね。その人の背景には様々な事情がある。そんなことも再確認させてくれました。

 

とにもかくにもおススメの作品の一つなので、興味がある方は是非ご覧になってみてください!!

 

 

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※本ページの情報は2020年3月時点のものです。最新の配信状況はAmazonプライム・ビデオのサイトにてご確認ください。