エンタメなしでは生きてけない!!

これは面白い!!これは人にすすめたい!!そんなエンタメ作品の紹介をしていきます!

『シン・ゴジラ』の何が面白かったのかを改めて振り返る。

僕が『シン・ゴジラ』を初めて観たのは、ゴジラ好きの友達がメチャメチャすすめてきたのがきっかけで、それまで怪獣映画とかほとんど興味がなかったんだけど、1回観たら「おぉー!これ面白れぇじゃん!」となりまして、それからちょこちょこ見返すようになったんですね。

 

おもしろいのには理由があるわけで、じゃあ具体的には何が面白いんだろうか?ということを最近考えるようになりまして、自分なりに「ここが面白いんじゃね?」というのがいくつか挙がってきたので今回はその辺りのことをつらつらと書いてみたいと思います。

 

「シン・ゴジラって何が面白いの?」と思っている人は参考にしてみてください。

 

※ネタバレアリなのでよろしくお願いします。

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『アラジン(アニメ)』人生で大切なものが何かを教えてくれる作品!!

ここ最近は自分の中でディズニーの過去の名作を見返すブームが起きてるんですよね。その一環として久々に観たのが今回紹介する『アラジン(アニメ版)』です。

 

 

まずは本作の概要やあらすじを簡単に説明します。アラジンは1992年公開(日本だと1993年)のアニメ映画です。監督は ジョン・マスカーとロン・クレメンツ。二人とも『リトル・マーメイド』や『ヘラクレス』最近では『モアナと伝説の海』の監督をしてますね。

 

次にあらすじを。舞台は砂漠にある架空の王国アグラバー。そこにくらす貧しい青年アラジンは国王が暮らす宮殿で暮らしたいと思っていた。ある日、アラジンは城下の市場で泥棒に間違われた女性を救う。その女性はなんとこの国の王の娘ジャスミンだった。しかしアラジンはジャスミンをさらった罪人と間違われ兵隊たちにつかまってしまう。実はこれはアグラバーの国務大臣ジャファーの罠だった。ジャファーは魔法の洞くつにあるという願い事をかなえてくれる魔法のランプをさがしていた。そのランプを手に入れるにはダイヤの原石でなければならないのだが、アラジンはそのダイヤの原石だったのだ。老人に扮装したジャファーの口車に乗せられアラジンは魔法の洞くつにランプを取りに行く。はたしてアラジンは無事ランプを手に入れられるのだろうか?

 

ここからはネタバレアリです

 

力を持つことは不自由さを伴うということ

まず、この映画を観ていて思ったのは力を持つことは不自由さ伴うということです。これは本作の登場人物たちを見ているとよくわかります。

 

まず主人公のアラジンは貧乏で単なる一市民です。その日暮らしで仕事もろくにないしご飯だってお腹いっぱい食べられるわけじゃありません。時には相棒のアブー(猿)と協力して店から食べ物を盗んでしまうこともある。そんな彼は宮殿のぜいたくな暮らしにあこがれています。ただし、アラジンの生活を見ていると不自由さは感じません。彼には街中に知り合いもいるし、好き勝手に走ったり飛び回っていて生活に不満はあるけど楽しそうでもあります。

 

その一方で、実際に宮殿に暮らすジャスミンはというとアラジンが憧れる暮らしに窮屈さを感じているわけですね。それはなぜかというと彼女には自由がないから。まずこのアグラバーという国だと王女は自分の結婚相手を自由に決めることができません。結婚できるのは別の国の王子のみと法律で決まってしまっているんです。さらに、彼女には行動の自由もないんですね。すぐ目の前に広がる城下の街に興味を惹かれるけど、城の外に勝手に出ることができないんです。ジャスミンは食べるものにも困らないし、豪華な建物の中で優雅な暮らしをおくっているけど自由がない。友達だって作れやしない。当然恋人も・・・。力を持ったり権力を持つとその分色々と縛りがあるというわけです。

 

で、この物語で一番不自由なのは誰なのか?ジャスミン?国王?いやっ、ランプの魔人ジーニーですね。ジーニーはすごいやつです。魔人という呼び名にふさわしい圧倒的なパワーを持っています。彼がその気になれば世界をその手中に収めることなんて苦もなくできるでしょう。ところがですよ、ジーニーは誰かに魔法のランプをこすってもらわないと外に出ることすらできないんですね。そして、彼自身ができることは「ご主人様が願う3つの願い事をかなえてあげること」だけです。(正確には作中自分の意思で行動するところもあります)力は誰よりもあるけど、とてつもなく不自由な存在、それがランプの魔人ジーニーなんです。

 

これはたぶん現実の僕らの世界にも当てはめることができます。権力者や偉いとされている人たちは力はありますが、その分世間の目が常に見張ってますし責任も大きくなるため不自由ではなくなります。一方、アラジンのような一市民は確かに贅沢な暮らしもできないし、権力もありません。ですが、誰かにしょっちゅう見張られるとか行動を縛られるということもないわけです。自由度で言えば確実にこちらが上です。果たして力があるけど不自由な方がいいのか、それとも力はないけど自由な方がいいのか。そんなことを考えさせられますね。まぁ、一番いいのは力もお金もあって自由もあってなんでしょうけどね(笑)

 

自分の気持ちに正直になろう

これは当たり前なのかもしれないけど、何かを成し遂げたいならまずは「○○したい」と思うところからスタートしなければなりませんよね。思っただけで自分の願いが叶うことはないけど、思わないことには何も起こることもないわけです。願うことは自分の思いを成し遂げることの第一歩。そう思わされたのはアラジンがジーニーにしたこんな質問からでした。

 

君なら何を願う?

『アラジン』より

 

この質問にジーニーは戸惑ってしまいます。なぜなら、それまでそんな質問をしてくる主人は一人もいなかったから。みんな自分の願い事をかなえることだけを考えていたんですね。だけど、実はジーニーはある願いをずーっと胸に秘めていました。その願いは叶うことはないと諦めの気持ちを抱きながら。ではその願いとは何なのか?・・・そう、自由です。ジーニーは何よりも自由が欲しかったんですね。ここではじめて彼は人の願いではなく自分の願いを口に出すことができたわけです。そしてアラジンは言います「三つ目の願いでジーニーを自由にする」と。

 

ジーニーの願いはかなうのか?これは言っちゃうと面白くないのでいいません。ただ、ここから学べるのは自分の気持ちに正直になるということ、その気持ちをしっかり伝えるということではないでしょうか?

 

現実に生きているとつい「願いなんてかないっこない」と諦めの気持ちを抱いてしまうことがあります。まるでジーニーが自由になることを諦めていたように。現実は厳しいんだ、最初から叶わないとわかっているなら願いなんてしないほうがましだと。でも、そんなことがどうして願いはかなわないと言えるのでしょうか?僕らは神でも何でもないし先のことなんて予想は出来てもそれが的中するかどうかなんてわかりっこないわけです。

 

願うことは誰にも邪魔をされません。自分の気持ちに正直になること、願わなければ始まらない。そんなことをこの『アラジン』という作品は思い起こさせてくれます。

 

子供も大人も楽しめる音楽が魅力的

ディズニーの作品には魅力的な音楽が使われることが多いですが、アラジンの音楽もいいんですよね。

 

まず、冒頭の『アラビアンナイト』でグッと作品の世界に引き込まれます。そしてジーニーが初登場したときの『フレンド・ライク・ミー』の軽快なリズムとともにジーニーがランプの魔人としての役割を説明する場面は観ていて楽しいですよね。子供はきっとコロコロ変わるジーニーの表情とか服装見てるだけでウキウキするだろうし、大人の僕でも思わず踊りだしたくなりますね。またアカデミー歌曲賞を受賞した『ホール・ニューワールド』が流れるシーンはやっぱり感動的です。魔法の絨毯で夜空を舞うアラジンとジャスミンが距離を近づけるきっかけになる曲ですし、大人っぽいメロディは子供の時に聴いて以来ずーっと耳に残ってたりします。

 

物語を彩る音楽も素晴らしい。それが本作の魅力の一つなのかなと思います。

 

まとめ

今回は『アラジン(アニメ)』を紹介してみました。大人になってからディズニーアニメ観ると実にいろいろな発見があって面白いし、アラジンなんかは特に子供も大人も楽しめるアニメだと思うので家族で観るのもおススメです!もちろん、僕のような独身男性が観ても楽しめる作品だと思うので、興味がある方は是非ご覧になってみてください。

 

『悪魔くん千年王国』水木しげるの思想が存分に注ぎ込まれた作品!!

今回はゲゲゲの鬼太郎でおなじみの水木しげる先生の作品『悪魔くん 千年王国』を紹介します。

 

 

この作品がどんな作品なのかをまずはあらすじを簡単に説明しますね。

 

主人公は松下一郎という小学二年の少年。彼は太平洋電気という会社の社長の息子で軽井沢にある別荘でお手伝いさんたちと共に暮らしている。彼はあまりにも頭がよく、学校では悪魔くんと呼ばれるほど。そんな彼のもとに太平洋電気の社員佐藤が訪ねる。佐藤は悪魔くんの父親から息子の家庭教師をしてほしいと頼まれていた。はじめは単なる頭脳明晰な少年と思われていた悪魔くんだったが、やがて彼がある計画を実行に移そうとしていたことが判明する。

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『それでも夜は明ける』アカデミー賞受賞!!アメリカの奴隷制度を正面から描いた衝撃作!!

見たらその内容を言わずにはいられない。そんな作品に時々出会うことがあります。つい先日僕が観た『それでも夜は明ける』という映画もまさにそうでして、とにかくその内容が衝撃的。

 

この作品がどういう作品なのかというと、アメリカの負の歴史である奴隷制度について取り扱った作品です。で、驚くべきなのはこれ、実際に12年間奴隷として過ごした人の回想記を基にした作品なんですよね。12年ですよ!!僕らには全く想像もつかない世界ですよね。では、具体的には一体どんな作品だったのか?まずは、本作の概要とあらすじから説明しましょう。

 

概要、あらすじ

監督はスティーヴ・マックイーン(俳優ではない)。12年間奴隷として過ごした主人公ソロモン・ノーサップをキウェテル・イジョフォーが演じる。ノーサップが働く農園の非常なオーナーはマイケル・ファスベンダー。農園で働く女性の黒人奴隷をルピタ・ニョンゴ。その他ベネディクト・カンバーバッチやブラッド・ピットも出演。

 

舞台は1841年のニューヨーク。ここに住むソロモン・ノーサップはバイオリニストで、妻と二人の子供がいてお金に不自由することもなく幸せに暮らしていた。(彼は奴隷ではない自由黒人という立場)ある日ソロモンは、二人の白人から仕事を持ちかけられる。しかし、それは彼らの罠だった。ノーサップは薬を飲まされて意識を失う。気が付くと手錠をはめられ足かせを付けられた状態で身動きができなくなっていた。彼を監禁している男たちはなんと彼を奴隷として売るという。本来自由黒人を奴隷売買することは禁じられているのだが、結局その意見は聞き入れられずノーサップは奴隷として売られてしまう。ここからノーサップの奴隷としての苦難の12年間が始まる。

 

※ここからはネタバレアリでお願いします

 

当時の奴隷たちがどれだけひどく扱われていたのかがよくわかる作品

この作品ははっきり言うと観れば観るほど胸糞悪くなるし、しんどくなる人も多いと思います。なぜなら、奴隷(主に黒人)の人たちがいかにひどい扱いを受けていたのか、残酷な仕打ちにあっていたのかを綿密に描いている作品だからです。

 

そもそも、まずノーサップ自身が奴隷になった経緯がヒドイ。彼が住んでいたニューヨーク州っていうのは奴隷制度が禁止されていたんですね。で、彼を罠にはめた白人たちはわざわざ奴隷制度が合法だったワシントン州に彼を連れていき、そこで奴隷商人に売りさばいたんです。そこまでしてなぜ奴隷を売買していたかというとそれは単純に儲かったから。

 

当時、アメリカの南部地方では綿花の栽培が盛んで人手がほしかったんですね。で、体の強い健康な黒人の奴隷の需要が高かったんです。いったん奴隷として買ってしまえば最低限の食事と住む場所だけ提供すると、あとはタダ当然で労働力として使えるわけですから、農園のオーナーからすると奴隷というのは実においしい存在なわけです。

 

しかも奴隷というのは人間扱いされないんですよ。農園のオーナー(白人)にとって、彼らは所有物であり家畜と一緒なんです。奴隷には人権というものがない。すると、どうなるか?ものすごく過酷な労働環境が当たり前になります。罵声は浴びせるわ、言うことを聞かなければ肉が裂け血が出るのなんてお構いなしに鞭でぶったたきます。それでも言うことを聞かなければロープで吊るし首にして殺してしまうことも。奴隷が途中でぶっ倒れようが死んでしまおうが関係ないんです。なぜなら人として見ていないから。

 

人間というのはここまで残酷になれるのかと。しかも、そうやって奴隷をさんざんこき使っているオーナーのエップスが聖書を読んでたりするんですよ。いやいや、聖書の教えだと人間は神様の前だとみんな平等じゃん。教えに矛盾してるじゃないですか。でも、いいんです。なぜなら奴隷は人間じゃないので平等に扱わなくていいわけですから。何その理屈って話ですよね。でも、南部の奴隷所有者たちは「奴隷は人間じゃない。単なるものであり家畜だ」という価値観が当たり前すぎて疑いすらしないんですよね。

 

本作では奴隷たちがひどい仕打ちを受けるシーンの連続ですが、特にそうした仕打ちの中でも衝撃的だったのは、農園のオーナーエップスが女性の黒人奴隷パッツィーに対してした仕打ちの数々です。パッツィーは綿花を摘む数も他の奴隷より多い働き者でエップスに気に入られています。それは単に労働者としてというだけでなく、性の対象としても。そう、パッツィーはエップスから性的暴行を受け続けているんですね。もちろん、これは罪に問われません。自分の所有物をどう扱おうがオーナーの勝手だからです。

 

しかしパッツィーはちょっとしたことでエップスの怒りをかってしまい、むち打ちの刑に処せられます。服を脱がせて全裸にしてのむち打ち刑。しかも、エップスはそれをノーサップにやらせる非道ぶり。当然ノーサップは強く鞭を打つことができず手加減をします。すると、エップスは鞭を奪い取りパッツィーを激しく鞭でたたきます。泣き叫ぶパッツィー。彼女の背中はみるみる肉が裂け血で真っ赤に染まっていくんです。これをすぐ横で見ていたノーサップはあまりにひどい仕打ちにうなだれながらこういいます。

 

「人でなしめ・・いつか・・・永遠の正義によって汝の罪は裁かれる」

引用元:『それでも夜は明ける』

 

その言葉に対してエップスは悪びれることもなく言い返します。

 

「罪だと?これは罪じゃない 所有物で遊んでるんだ 今私はすごく楽しいんだ これ以上気の晴れる遊びはない」

 

人に鞭を打つことは所有物で遊んでいるにすぎないし、それがすごく楽しい・・・。お前正気なのか?って思いますよね。このやり取りが果たして事実なのかはわかりませんが、おそらくそれに近い思考の持ち主が南部の農園オーナーたちには多くいたんだろうなと。

 

人生の理不尽さをこれでもかというぐらい見せつけられる

ネタバレアリというかタイトルからして想像できると思いますが、ノーサップはとてつもなく運よく奴隷から抜け出して元いたニューヨークの家に戻ることができます。自由黒人としての地位も取り戻せたし、家族もみんないておまけに娘は結婚していて孫まで誕生している。別れた家族との再会シーンは確かに感動的で涙なしでは見れないし、彼の苦難の日々を思うとほんとによかったなと思うけど、決してメデタシメデタシという話ではないんです。なぜなら、それはあくまで彼個人に限っての話だから。

 

考えてみるとノーサップが脱出できたエップスの農園にいたほかの黒人たちは、当然奴隷のままなんですよ。彼らはそれまでと変わらず過酷な労働と理不尽な仕打ちを受け続けるわけです。ノーサップはものすごく前向きに捉えれば12年で済んだわけですよね。いやっ、12年も地獄ですけど、他の奴隷の中には下手すれば一生奴隷として働き続けて死んでいく人だっているだろうし、実際にいたんだと思います。

 

単に肌の色が黒く生まれてきたからというだけで、奴隷として家畜のように扱われてしまう。その黒人の中でだってたまたまノーサップのように自由黒人として生まれてきたことで奴隷にならずに済んだ人もいる。生まれた場所が奴隷制度を禁止していたから奴隷にならずに済んだ人もいる。ほんのちょっとの違いが、その人の人生を全く違うものに変えてしまう可能性がある。

 

人生は何と理不尽なのものなのだろうか。ありきたりなんだけどこの映画を観るとそんな感想を抱かずにはいられません。それぐらい奴隷制度というのは理不尽の極みのようなものだったと思います。奴隷のまま自分の人生を送ることができないまま一緒を終えた人たちのことを想像すると、涙が出てきますね。

 

アメリカの差別の根深さも理解できる

アメリカではいまだに黒人に対する差別があると聞きますが、本作で描かれてきたように、ほんの150年ほど前まで南部では黒人たちを人間とすら思っていなかったわけですよね。それが南北戦争(1861~65)で奴隷が禁止になったとはいえど、じゃあ昨日まで単なる所有物であり家畜として扱ってきた黒人たちを、自分たち白人と同じく平等に扱えるかといったらそれは難しいんだろうなと。彼らの中にある差別意識って相当根深いのわかりますもん。この映画を観てると。だから結局ズルズルと100年経っても150年経って、どこかで人々の中に差別の意識が残り続けているんだと思います。

 

でも、あれだけ絶望的な奴隷制度だってなくなったし、社会は少しずつ良くはなっていってるんだとも思うんですよね。そう信じたいし、これから僕ら自身もそうしていかなきゃいけないよなとこの映画を観ていて改めて思いました。

 

まとめ

今回は『それでも夜は明ける』という作品の感想を書いてみました。決して笑える映画ではありませんし、陰惨なシーンも多いですが、アメリカ社会の負の歴史である奴隷制度について知るきっかけになる素晴らしい作品だと思うので、ぜひご覧になってみてください。

 

ちなみに本作はAmazonプライムで観られます。初めての方は30日無料体験もあるのでぜひ登録してご覧になってみてください。

 

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※本ページの情報は2019年11月時点のものです。最新の配信状況はAmazonプライム・ビデオのサイトにてご確認ください。

『いまを生きる』観る者の心を揺さぶる強烈なメッセージを帯びた作品!

久々に強烈なガツンと心に残る映画を観ました。

 

『いまを生きる』という亡くなったロビン・ウィリアムズが主演の作品。これがもう強烈だった。物語自体は割と大人締めな話ではあるんだけど、込められてるメッセージがズバッと心に突き刺さるんです。観た後は少なからず感化されてしまう作品なんですよね。

 

まずは簡単にあらすじを。

 

舞台は名門大学に卒業生を何人も送り込む全寮制の学校ウェルトン・アカデミー。伝統、名誉、規律、美徳が学校の方針。教師も生徒たちの親も、子供を名門大学から弁護士や医者など社会的なステータスが高い職業に正しいと信じていて、生徒たちは規律に厳しく管理されており、生徒たちの中にはそんな日常に息苦しさを感じていた。

 

そんな名門校にかつてこの学校を卒業したジョン・キーティング(ロビン・ウィリアムズ)が英語(日本でいう国語)の教師として赴任してくる。キーティングはこれまで生徒たちが経験したことがない型破りな授業を展開。教科書に書かれている詩を数値で評価しようとする部分を生徒に破り捨てさせ、自分で考え詩に込められた言葉や表現を味わうことが大切だと説いたり、ロバート・ヘリックというイギリス人の詩を引用し生徒たちに今を生きることの大切さを教えていく。

 

これまで経験したことがないキーティングの教えに最初は戸惑う生徒たち。だが、窮屈な学校生活とは正反対の新鮮な教えは生徒たちに徐々に受け入れられ彼らに多大な影響を与えていくのだが………。

 

ここからはネタバレアリなのでご了承ください。

 

いまを生きることは素晴らしくもあり、厳しくもあることを教えてくれる

先述したようにこの作品の舞台である学校というのは、伝統を重んじる進学校で規則で生徒たちを縛ってるんです。それも日常生活だけでなく、将来についても有名大学、医者、弁護士、大企業という道が正しいと思っているし、この学校に通わせている生徒たちの親も多くはそう思っています。将来まで縛られちゃってるんですね。おまけに寮生活だから基本的にはずーっと学校にいるし、夜も先生たちの目があるから自由に行動できません。彼らにできるのはせいぜい部屋を閉じてこっそりタバコを吸ったり、学校の方針を馬鹿にしたりするぐらいです。親にも学校にもあらがうことができません。

 

そこに登場したのがキーティングですよ。彼の授業、特にアメリカの詩人たちの詩を引用しながら授業を進めていくんだけど、これがまぁ響くんだ。例えばこの詩。

 

「バラのつぼみは早く摘め。時は過ぎ行く。今日咲き誇る花も明日に枯れる」

引用元:『いまを生きる』

 

これは『乙女たちよ、時を惜しめ』(違う訳もある)という詩の一部なのですが、どういう意味なのかというと、今日花が咲いてても明日咲いてるかどうかなんてわからないから花を摘むなら今だぞってことですよね。もっとわかりやすく言うと「明日になったらどうなってるかなんてわからないんだから、今やりたいことをやろうぜ」となりもっと簡略に言うと「いまを生きろ」になります。ラテン語で言うと「カーペ・ディエム」これがキーティングの教えの根底にあるわけです。

 

翻って生徒たちはというと、今やりたいことをやってないわけですよね。将来の進学や社会的に地位の高い職業に就くために今を犠牲にしているといってもいい。そのことに対して違和感や不満を持っている生徒たちもいるんです。そういう子たちからするとキーティングの教えっていうのはとても響くわけです。

 

特にキーティングの教えに感化されたのはニール・ペリー(ロバート・ショーン・レナード)という生徒です。ある時ニールはキーティングが在学していた時に作っていた『死せる詩人の会』に興味を持ちます。そしてノックス・オーバーストリート(ジョシュ・チャールズ)、チャーリー・ダルトン(ゲイル・ハンセン)、トッド・アンダーソン(イーサン・ホーク)とともにその会を復活させます。

 

この会は学校が終わった後の夜、近所の洞くつで開催されます。彼らはここで詩を読んだり各々のことを語ることで、少しずつ自分が何をしたいのかを自覚していくんですね。その解放されていく感じが観ているこちらとしても微笑ましい。「おお、いいね!!良かったじゃん!」と素直に言いたくなる一時なんです。

 

だけど、そうスムーズにいかないところもまた現実の厳しいところ。学校や親といった巨大な力が彼らの前に立ちはだかります。特にニールは父親という存在が彼らにとって最大の壁なんですね。口答えは許さない、俺の言うとおりにしろという典型的な父権主義の父親ですよ。ニールはこれまで彼に逆らうことができなかった。

 

でも、キーティングの教えや死せる詩人の会の活動を通じて彼はやりたいことを見つけるんです。それは演技なんですよね。彼は芝居をやりたい。ただ、ニールの父親は勉強していい大学行っていい仕事に就くのが唯一の正しい道と信じて疑わない人ですから、当然ニールが芝居をやりたいということに断固反対します。

 

自分のやりたいことをやりたい、まさに今を生きようとしているニールと、将来のために今は余計なことをやるんじゃないという父親とのぶつかり合い。その結末は非常に厳しいものとなってしまいました。ネタバレアリなので行ってしまうと、ニールは自殺してしまうんです。

 

ニールは自分が主役の舞台で見事に役を演じ切り観客からは拍手喝さいを受けるんです。その会場には父親も見に来ていて、ニールがみんなから評価されているところも観てるんですよ。でも、父親は認めない。やっぱり父親にとって芝居なんてものは何の役にも立たない余計な者なんです。なのでニールを自宅に連れて行って、「お前は転校して陸軍学校行ってハーバードに行って医者になれ!」と言うんです。これ、提案じゃなくて命令ですからね。軍隊の上官が部下に命令するように口答えは禁止で絶対服従しなければならない。ニールも結局そんな父親に口答えすることも反抗することもできず、将来に絶望して自ら死を選んでしまう。

 

物語前半の少しずつ希望に向かっていたあの感じから、「えっ、嘘だろ?」という展開になったのでショックを受けましたね。あまりにも厳しいだろこの現実はと、ただ、この作品の舞台は1950年代のアメリカなので、おそらく今の僕らの価値観で考えちゃダメなんですよね。1950年代を生きる家族や学校制度の枠組みの中で考えなきゃならない。今以上に父親の力っていうのは強かっただろうし、社会全体の価値観も「いい学校に行っていい仕事に就く」っていうのが強かったはず。おそらく今の比じゃないんですよ。その縛りの強さって。そうなると現代以上にいまを生きること、他人のことを気にせず自分のやりたいことをやるってことが難しかった。その厳しい現実というのもしっかり描いている作品だなと思いました。でも、ニールの父親はあまりにも独断専行すぎるけどね。

 

で、結局ニールの自殺はキーティングに原因があるということで、彼は責任を取らされ学校をやめることになります。いやいや、観ている側からすると完全に親父のせいだろって思うわけですけどね。キーティングがこなければ余計なことを考えずに勉強だけしていたという理屈なんですね。まぁ、確かに彼がこなければニールは現状に不満を抱えつつも学校の規則に従い父親の言うことを聞いて有名大学に進学していたとは思います。キーティングが彼に影響を与えたという意味では間違いはないのかもしれない。

 

キーティングが学校をやめる日になり、彼は自分の荷物を取りに生徒たちが勉強する教室に入ってきます。教室からさるキーティング。ついに彼の教えはついえてしまうのかと思いきや、最後の最後に素晴らしいシーンが観られるんです。ここはまたグッと感動するシーンなのでぜひ実際に観てほしい!!「ああ、キーティングの教えは確実に彼らの中に残ってる」と思えるシーンです。

 

まとめ

今回は『いまを生きる』の感想を書いてみました。

 

映画を観ていて、僕もガッツリキーティングに影響されて「いまを生きることは素晴らしいな」と思う一方で、いまを生きることの難しさも実感できる作品でした。言うほど簡単ではないんだよなぁと。

 

それにいまを生きるというのは間違った解釈をすると、「いまがよければ将来はどうでもいい」とか目先の快楽や誘惑に流されてしまうこともあるのかなと。特にまだ若いとそういうところで制限がきかないというのがわかっていて、ウェルトン・アカデミーや生徒たちの親は必要以上に規則や命令で縛ることで、彼らが快楽や誘惑に走らないようにしていたのかもなとも思います。

 

なんにせよ、キーティングの教えや彼が引用する詩が伝えてくれるメッセージは、観ている僕らの心を揺さぶること間違いなしです!!自分はどう生きたいのか、自分はいまを生きれているのか?そんなことを考えるきっかけを与えてくれる作品だと思うので、興味がある方は是非ご覧になってみてください。