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『ティム・バートンのコープスブライド』花嫁は死者!?ティム・バートンが描く暗くて楽しい大人が楽しめる作品!

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ちょっと前にストップ・モーション・アニメで作られた『コララインとボタンの魔女』を紹介しました。

 

『コララインとボタンの魔女』大人も子供も楽しめるちょっと不気味で魅力的なダークファンタジー。 - エンタメなしでは生きてけない!!

 

これを観て「やっぱストップ・モーション・アニメ好きだなぁ」と思いましてね、まだ未見だった『ティム・バートンのコープスブライド』を観ることにしました。未見だったのはホント何と無くとしか言いようがありません。みようみようと思ってたけど観れてなかった。タイミングが合わなかったんですね。でも、今回やっとこさ観ることができて、やっぱりこの世界観が好きだし良かったので紹介してみようと思ったわけです。

 

 ※ネタバレ有りなのでよろしくお願いします。

 本作は2005年に公開。元々は19世紀のヨーロッパの民話をもとにしているそうです。監督はご存知ティム・バートン。感想に入る前にまずはどんなお話か簡単に説明。

 

舞台は19世紀のヨーロッパの小さな街。主人公は魚屋を営むヴァン・トート夫妻の息子不ヴィクター。ヴィクターの親は事業に成功した成金で、上流階級入りを狙っています。その願いは息子を貴族の娘と結婚させることで叶おうとしていました。一方、ヴィクターの結婚相手ヴィクトリアの家は、かつての栄光はすでに去った没落貴族です。金庫もスッカラカンあるのは貴族としてのプライドのみ。彼らは再び華やか貴族の世界に返り咲くため、家が豊富な財産を持つヴィクターと娘を結婚させようとしていたのでした。つまり、お互いの両親の思惑のみで2人の結婚というのは決まったわけです。

 

身分社会の崩壊と金の持つ力が描かれる

さて、この2人の結婚話ですが、現代を生きる僕らの感覚からしたら違和感しかないでしょう。親の思惑、上流階級に移動したい、上流階級に留まりたいという勝手な思いのみで子供の結婚相手が決まってしまうわけですからね。冗談じゃないよと、勝手に決めないでよと思う人も多いのではないでしょうか?しかし、それは現代を生きる僕らの感覚。

 

ほんの2世紀ほど前は日本もヨーロッパも、まず家が優先され個人の意思というのは必ずしも尊重されるものではなかったはずです。ほらっ、日本だと江戸時代なんかを思い浮かべてもらうとわかりやすい。武士は武士の家の娘と結婚するみたいな縛りがあったわけですよね。基本的に身分違いの恋愛とか結婚なんていうのは許されなかったわけです。結婚相手も親が決めてきた相手とするのがわりと当たり前でした。もし身分違いの相手と結ばれたいなら駆け落ちみたいなことをするしかなかった。ヨーロッパもその辺りは同じでしょう。貴族の相手はやはり貴族。封建社会において身分が違う相手と結ばれることはハードルがめちゃめちゃ高かったわけです。

 

しかし、時代が進み僕らの社会は新たな段階へと進みます。そう、資本主義社会ですね。言い換えれば「お金がある人間が力を持てる社会」です。こうした社会の変化により身分的には低い人の中からも、ものすごい財力を背景に貴族など上流階級を上回る力を持つ人が出てき始めたわけです。その一方で、かつての封建社会ではある程度立場が保証され権力、財力ともに持ち合わせていた貴族たちは、以前ほど身分を守られる立場ではなくなってしまいます。その結果、競争に資本社会的な競争に敗れた貴族の中には、ヴィクトリアの家のように没落してしまう人たちが出てきたんですね。

 

本作はそうした社会の移り変わりの一端や、身分に縛られる古い世代に対する皮肉も込められていて、どちらかというとそういう時代背景がわかる大人が楽しめるアニメとなっているのではないでしょうか。(もちろん、この世界観が好きな子供も絶対いるから絶対観てほしい!)

 

この世は暗く、あの世は楽しい?

ヴィクターとヴィクトリアは当初、互いにあまり結婚に乗り気ではありませんでした。そもそも初顔合わせが結婚式前日のリハーサルの時ですから、そりゃ結婚への期待よりも不安とかの方が大きいでしょう。でも、2人は顔合わせの時のやりとりを通じて少しずつ結婚に前向きになっていきます。

 

しかし、ヴィクターは教会で行われた結婚式のリハーサルで、誓いのセリフの言い間違いを連発。牧師に怒られ式の延期を告げられてしまいます。このままではいけないと思ったヴィクターは夜の森で1人で式の練習をするんです。するとさっきまでと違いスラスラと近いのセリフが出てくるではありませんか。気を良くしたヴィクターは近くにあった木の枝に結婚指輪をはめます。すると、なんとそれはエミリーという死んだ女性の指だったんです。

 

これによって事態は急展開。ヴィクターが自分と結婚したいと勘違いしたエミリーは、彼を連れて死者の世界へと連れて行ってしまうんです。

 

この死者の世界なんだけど、すごい楽しそうなんですよね。ほら、よく描かれる死者の世界って陰鬱なくらーい感じに描かれることが多いじゃないですか。水木しげる先生が描く地獄みたいな(笑)ところが、本作の死者たちの世界は明るい。死者たちの中には既に肉がなくて骨だけみたいな人たちもいるけど、酒を飲んだり音楽を演奏したりと陽気な感じなんですね。その一方で、ヴィクターたちが生きている生者の世界はすごく陰鬱な感じに描かれています。この辺りの対比は監督であるティム・バートンの思いが込められているんですね。

 

死者の世界より生者の世界がずっと゛死んでいる゛っていう主題や、生と死の並置やその感じを楽しむことー僕はごく早い時期からそうした感覚を持っていた。子どもの頃まで遡るんだけど、みんなが゛正常゛と呼ぶものが正常でなく、みんなが゛異常゛と呼ぶものが異常でないと感じたことを覚えている。

引用元:『ティム・バートン』著者ティム・バートン/マーク・ソールズベリー  フィルムアート社

 

確かに僕らの中にも、どこかで「死後の世界はなんか暗そう」みたいな感覚があったり、死を見たくないものとして捉える感覚ってありますよね。そういう常識に引っ張られず「自分はこう思うんだ」という思いが作品からひしひしと伝わってくる。だから、ティム・バートンの作品というのは彼独特の世界観を常に身に纏っているように感じられるのではないかと。

 

あと、単純に本作の舞台を観ていると「どっちが楽しくてどっちがつまらんかわからんよなぁ」と考えさせられたりもします。冒頭でも述べたように、ヴィクターとヴィクトリアの親は身分に縛られて、子どもの人生をまるで自分のもののように扱うわけですよ。その辺りの執着心はどこか醜さを感じさせるわけです。そして、そんな親の意思に逆らえない子供達自身もどこか生きづらさを抱えていたりする。また、ヴィクターの両親の経営する魚屋で働く人たちは、正気の感じられない目をしていて,まるで機械のように魚の頭を切り落としていきます。

 

一方、死者の世界は身分にこだわる必要もなければ、お金がないことを心配したりする必要もありません。前述したように酒を飲んだり音楽を楽しんだりとみんな自由に行動しています。さて、どっちが生きている世界でどっちが死んでいる世界なのでしょうか?ちょっと考えてしまいますね。(もちろん本作の死後の世界とは違って本当は、生前の身分や財力が継承されているのかもしれないけど)

 

まとめ

そんなわけで、ここまで僕なりに『ティム・バートンのコープスブライド』についてあれこれ書いてみました。ヴィクターは無事生者の世界に戻れるのか?その辺りはぜひ本作のラストまで観ていただければと思います。「こういう結末になるよね」とある程度予測のつく展開ではありますが、ヴィクター、ヴィクトリア、エミリーの三者の想いに共感できるし、悲しく美しいラストの場面はとても印象に残るはずです。

 

ティム・バートンの世界観が苦手じゃないって方であれば、おすすめの作品なので是非ご覧になってみてください!!