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『泣いて馬謖を斬る』とはどういう意味なのかを説明する。

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三国志には現代まで伝わることわざがいくつも残されています。

 

今回はその一つ「泣いて馬謖を斬る」ということわざについて簡単に説明してみようと思います♪

 

なぜこのことわざがうまれたのか?

このことわざの意味を知るには、このことわざが生まれた背景を知らなければなりません。これは孔明率いる蜀軍が敵国魏に攻め入った時の話です。

 

蜀軍は敵国に攻め入るために食糧を補給するための拠点を確保しなければなりませんでした。どんなに強い軍隊でも食糧がなければ戦えないからです。そこで蜀の丞相である葛亮孔明(以下、孔明)は街亭という場所を抑えることを考えます。

 

街亭は食料を運送するためには絶対に魏にとられてはいけない土地。一刻も早く街亭に行き誰かに守らせなければなりません。そこで手を上げたのが馬謖でした。馬謖は優秀さを知られており、孔明もその才能を認める人物です。というわけで、孔明は馬謖に街亭の守備を任せるのでした。

 

一方魏軍も蜀にとって食料運送のかなめの場所であることに気づき、軍を送っていたんですね。ところがすでに街亭には馬謖の軍があり、指揮を執る司馬懿はまたしても孔明に先手を取られたと悔しがるのでした。

 

ところが、ここからが問題なんです。孔明は馬謖に「山道をふさいで魏軍を通れなくするように」という命令を出していたんです。そうすれば大軍でこようとも簡単に通れるものではないと。

 

ところが馬謖はその命令を軽んじ、何と山の頂上に陣を築いてしまうんですね。頂上には水を補給する場所がないため、魏軍に水源を断たれてしまい、兵隊は弱りまた脱走するなどして馬謖は大敗を喫します。

 

こうして蜀軍が魏に攻め入るために重要な地であった街亭は、馬謖が功を焦り勝手な判断を下したため魏軍に占領されることに。そのため、食料を運搬する術を失くした蜀軍は総退却をする羽目になってしまったのです。

 

泣いて馬謖を斬るとは?

魏軍の大群が押し寄せる中、どうにか蜀軍は引き上げることに成功しました。しかし、魏への進攻はかなわず多くの犠牲を出す原因をつくった馬謖の罪は問われなければなりません。彼は後日軍法会議にかけられることになります。

 

ここで孔明は命令に背き、蜀の全軍を退却させてしまった馬謖を死罪に処するのです。

 

しかし、馬謖は多くの有能な将が亡くなった蜀にとって貴重な存在です。孔明も個人的には彼を死罪にはしたくないのです。ですが、ここで馬謖を助けてしまうと軍法というものがまったく意味のないものになってしまいます。法律はどんな地位にあるものであっても破ってしまったら罪に問われなければならないのです。

 

仮にもし馬謖に温情をかけてしまったりしたらどうなるでしょうか?「あんな罪を犯したのに自分のお気に入りだからといって助けるのか。」という不平不満を部下たちが持ってしまいます。そして法律を守らなくてもいいんだという考えを部下たちが持ち始める可能性もあるわけです。そうなるととても軍の統率なんてかないません。それがやがて国が亡ぶのは原因になるというのを孔明はわかっていたんですね。

 

そのため孔明は泣く泣く馬謖を切ることを決意したというわけです。

 

つまり泣いて馬謖を斬るというのは、

 

「全体の規律を守るためには、法律を破ったものがたとえ馬謖のように優秀な人間であっても、私情を挟まずに、涙をのんで処分をする」

 

という意味になります。

 

孔明としてはおそらくメチャメチャつらかったと思うんですよね。馬謖には才能もあったし、何より蜀には将軍が不足していたわけですから。それまでの闘いで蜀は看板とも呼べる将軍たちを次々に失っていましたからね。ものすごく人材不足だったんです。それでも私情に流されずに法律に則って処分を下した孔明はさすがだなーと思いました。

 

というわけでなかなか使うことはないかもしれないですが、今回は「泣いて馬謖を斬る」という言葉が生まれた背景とその意味を簡単に説明してみました。

 

ちなみに馬謖が斬られる原因となった、街亭の闘いは三国志52巻に掲載されているので、興味がある方はぜひ読んでみてください♪

 

それではまた♪