エンタメなしでは生きてけない!!

これは面白い!!これは人にすすめたい!!そんなエンタメ作品の紹介をしていきます!

『いまを生きる』観る者の心を揺さぶる強烈なメッセージを帯びた作品!

※このブログはアフィリエイト広告を利用しています。記事中のリンクから商品を購入すると、売上の一部が管理人の収益となります。

久々に強烈なガツンと心に残る映画を観ました。

 

『いまを生きる』という亡くなったロビン・ウィリアムズが主演の作品。これがもう強烈だった。物語自体は割と大人締めな話ではあるんだけど、込められてるメッセージがズバッと心に突き刺さるんです。観た後は少なからず感化されてしまう作品なんですよね。

 

まずは簡単にあらすじを。

 

舞台は名門大学に卒業生を何人も送り込む全寮制の学校ウェルトン・アカデミー。伝統、名誉、規律、美徳が学校の方針。教師も生徒たちの親も、子供を名門大学から弁護士や医者など社会的なステータスが高い職業に正しいと信じていて、生徒たちは規律に厳しく管理されており、生徒たちの中にはそんな日常に息苦しさを感じていた。

 

そんな名門校にかつてこの学校を卒業したジョン・キーティング(ロビン・ウィリアムズ)が英語(日本でいう国語)の教師として赴任してくる。キーティングはこれまで生徒たちが経験したことがない型破りな授業を展開。教科書に書かれている詩を数値で評価しようとする部分を生徒に破り捨てさせ、自分で考え詩に込められた言葉や表現を味わうことが大切だと説いたり、ロバート・ヘリックというイギリス人の詩を引用し生徒たちに今を生きることの大切さを教えていく。

 

これまで経験したことがないキーティングの教えに最初は戸惑う生徒たち。だが、窮屈な学校生活とは正反対の新鮮な教えは生徒たちに徐々に受け入れられ彼らに多大な影響を与えていくのだが………。

 

ここからはネタバレアリなのでご了承ください。

 

いまを生きることは素晴らしくもあり、厳しくもあることを教えてくれる

先述したようにこの作品の舞台である学校というのは、伝統を重んじる進学校で規則で生徒たちを縛ってるんです。それも日常生活だけでなく、将来についても有名大学、医者、弁護士、大企業という道が正しいと思っているし、この学校に通わせている生徒たちの親も多くはそう思っています。将来まで縛られちゃってるんですね。おまけに寮生活だから基本的にはずーっと学校にいるし、夜も先生たちの目があるから自由に行動できません。彼らにできるのはせいぜい部屋を閉じてこっそりタバコを吸ったり、学校の方針を馬鹿にしたりするぐらいです。親にも学校にもあらがうことができません。

 

そこに登場したのがキーティングですよ。彼の授業、特にアメリカの詩人たちの詩を引用しながら授業を進めていくんだけど、これがまぁ響くんだ。例えばこの詩。

 

「バラのつぼみは早く摘め。時は過ぎ行く。今日咲き誇る花も明日に枯れる」

引用元:『いまを生きる』

 

これは『乙女たちよ、時を惜しめ』(違う訳もある)という詩の一部なのですが、どういう意味なのかというと、今日花が咲いてても明日咲いてるかどうかなんてわからないから花を摘むなら今だぞってことですよね。もっとわかりやすく言うと「明日になったらどうなってるかなんてわからないんだから、今やりたいことをやろうぜ」となりもっと簡略に言うと「いまを生きろ」になります。ラテン語で言うと「カーペ・ディエム」これがキーティングの教えの根底にあるわけです。

 

翻って生徒たちはというと、今やりたいことをやってないわけですよね。将来の進学や社会的に地位の高い職業に就くために今を犠牲にしているといってもいい。そのことに対して違和感や不満を持っている生徒たちもいるんです。そういう子たちからするとキーティングの教えっていうのはとても響くわけです。

 

特にキーティングの教えに感化されたのはニール・ペリー(ロバート・ショーン・レナード)という生徒です。ある時ニールはキーティングが在学していた時に作っていた『死せる詩人の会』に興味を持ちます。そしてノックス・オーバーストリート(ジョシュ・チャールズ)、チャーリー・ダルトン(ゲイル・ハンセン)、トッド・アンダーソン(イーサン・ホーク)とともにその会を復活させます。

 

この会は学校が終わった後の夜、近所の洞くつで開催されます。彼らはここで詩を読んだり各々のことを語ることで、少しずつ自分が何をしたいのかを自覚していくんですね。その解放されていく感じが観ているこちらとしても微笑ましい。「おお、いいね!!良かったじゃん!」と素直に言いたくなる一時なんです。

 

だけど、そうスムーズにいかないところもまた現実の厳しいところ。学校や親といった巨大な力が彼らの前に立ちはだかります。特にニールは父親という存在が彼らにとって最大の壁なんですね。口答えは許さない、俺の言うとおりにしろという典型的な父権主義の父親ですよ。ニールはこれまで彼に逆らうことができなかった。

 

でも、キーティングの教えや死せる詩人の会の活動を通じて彼はやりたいことを見つけるんです。それは演技なんですよね。彼は芝居をやりたい。ただ、ニールの父親は勉強していい大学行っていい仕事に就くのが唯一の正しい道と信じて疑わない人ですから、当然ニールが芝居をやりたいということに断固反対します。

 

自分のやりたいことをやりたい、まさに今を生きようとしているニールと、将来のために今は余計なことをやるんじゃないという父親とのぶつかり合い。その結末は非常に厳しいものとなってしまいました。ネタバレアリなので行ってしまうと、ニールは自殺してしまうんです。

 

ニールは自分が主役の舞台で見事に役を演じ切り観客からは拍手喝さいを受けるんです。その会場には父親も見に来ていて、ニールがみんなから評価されているところも観てるんですよ。でも、父親は認めない。やっぱり父親にとって芝居なんてものは何の役にも立たない余計な者なんです。なのでニールを自宅に連れて行って、「お前は転校して陸軍学校行ってハーバードに行って医者になれ!」と言うんです。これ、提案じゃなくて命令ですからね。軍隊の上官が部下に命令するように口答えは禁止で絶対服従しなければならない。ニールも結局そんな父親に口答えすることも反抗することもできず、将来に絶望して自ら死を選んでしまう。

 

物語前半の少しずつ希望に向かっていたあの感じから、「えっ、嘘だろ?」という展開になったのでショックを受けましたね。あまりにも厳しいだろこの現実はと、ただ、この作品の舞台は1950年代のアメリカなので、おそらく今の僕らの価値観で考えちゃダメなんですよね。1950年代を生きる家族や学校制度の枠組みの中で考えなきゃならない。今以上に父親の力っていうのは強かっただろうし、社会全体の価値観も「いい学校に行っていい仕事に就く」っていうのが強かったはず。おそらく今の比じゃないんですよ。その縛りの強さって。そうなると現代以上にいまを生きること、他人のことを気にせず自分のやりたいことをやるってことが難しかった。その厳しい現実というのもしっかり描いている作品だなと思いました。でも、ニールの父親はあまりにも独断専行すぎるけどね。

 

で、結局ニールの自殺はキーティングに原因があるということで、彼は責任を取らされ学校をやめることになります。いやいや、観ている側からすると完全に親父のせいだろって思うわけですけどね。キーティングがこなければ余計なことを考えずに勉強だけしていたという理屈なんですね。まぁ、確かに彼がこなければニールは現状に不満を抱えつつも学校の規則に従い父親の言うことを聞いて有名大学に進学していたとは思います。キーティングが彼に影響を与えたという意味では間違いはないのかもしれない。

 

キーティングが学校をやめる日になり、彼は自分の荷物を取りに生徒たちが勉強する教室に入ってきます。教室からさるキーティング。ついに彼の教えはついえてしまうのかと思いきや、最後の最後に素晴らしいシーンが観られるんです。ここはまたグッと感動するシーンなのでぜひ実際に観てほしい!!「ああ、キーティングの教えは確実に彼らの中に残ってる」と思えるシーンです。

 

まとめ

今回は『いまを生きる』の感想を書いてみました。

 

映画を観ていて、僕もガッツリキーティングに影響されて「いまを生きることは素晴らしいな」と思う一方で、いまを生きることの難しさも実感できる作品でした。言うほど簡単ではないんだよなぁと。

 

それにいまを生きるというのは間違った解釈をすると、「いまがよければ将来はどうでもいい」とか目先の快楽や誘惑に流されてしまうこともあるのかなと。特にまだ若いとそういうところで制限がきかないというのがわかっていて、ウェルトン・アカデミーや生徒たちの親は必要以上に規則や命令で縛ることで、彼らが快楽や誘惑に走らないようにしていたのかもなとも思います。

 

なんにせよ、キーティングの教えや彼が引用する詩が伝えてくれるメッセージは、観ている僕らの心を揺さぶること間違いなしです!!自分はどう生きたいのか、自分はいまを生きれているのか?そんなことを考えるきっかけを与えてくれる作品だと思うので、興味がある方は是非ご覧になってみてください。