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『運び屋』久々のクリント・イーストウッド監督主演作は実話をもとにした犯罪映画

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クリント・イーストウッドと言えば俳優としても監督としても世界的な名声を得ている人ですが、実は2012年の『人生の特等席』という作品以降、監督をした作品はあれど俳優としての出演はなかったんですね。それはイーストウッドが監督業の方に力を注いでいたというのもあるけど、何よりも年齢を重ねると自分の年に見合った役があまりないということもあるようです。

 

歳を取ると、いい役が少なくなる。それは女優にとくに顕著ながら、男でも70歳を過ぎると、主役はめっきりと減る

引用元:『キネマ旬報 NO.1805 2019年3月下旬映画業界決算特別号』キネマ旬報社

 

確かに高齢者が中心の映画というのは少ないし、ましてや主役ともなるとさらに少なくなるというのは肌感覚でわかりますよね。僕自身はイーストウッドが監督をし俳優としても出演した『グラン・トリノ(2008)』がけっこう好きなので、「もうイーストウッドの監督・主演作は観られないのかなぁ、ちょっと残念だよなぁ。」なんて思ってたわけです。

 ところが2018年に実に10年ぶりのイーストウッド監督、出演作が公開されました。それが今回紹介する『運び屋』という作品です。

 

 

 監督はクリント・イーストウッド。脚本はニック・シェンク。イーストウッドは年老いた麻薬の運び屋アール・ストーンを演じ、ブラッドリー・クーパーは麻薬捜査官コリン・ベイツを。ローレンスフィッシュバーンはベイツの上司の主任捜査官を。ベイツと同じく麻薬捜査官の一人トレビノをマイケル・ペーニャ。アールの元妻メアリーはダイアン・ウィーストが演じています。

 

あらすじ、概要

アール・ストーンは園芸家として賞を獲得するなど仕事面で充実した日々を送っていた。だが、その一方で娘の結婚式よりも仕事を優先するなどし、家族に対してあまり向き合うこともしてこなかった。やがて、アールはインターネットの台頭など時代の流れについていけず園芸家を廃業。孫娘ジニーが結婚するため久々に娘や元妻と顔を合わせるも、その頃には家族との関係もさらに悪化していたのだった。仕事も家族も失い残ったのはおんぼろのトラックのみ。孤独になってしまったアールだったがひょんなことからドライバー(運び屋)の仕事を紹介される。彼のようにこれまで犯罪とは縁遠かった人間の方が警戒されないという。こうして運び屋の仕事を始めたアールは徐々に犯罪組織から信頼を勝ち取っていく。

 

ココからはネタバレアリなのでお願いします。

 

感想

孤独な男はなぜ運び屋の仕事を続けてしまったのか? 

この映画を観て思ったし、もしかしたらあらすじを読んで思った人もいるかもしれないんだけど、「なんでこの人運び屋なんて仕事続けちゃったの?」って思いません?もちろん、犯罪組織に一度かかわってしまったらなかなか抜けられないっていうのもあるとは思うんです。でも、最大の理由はおそらくなんですけど「存在を認められちゃったから」なんじゃないかなと。

 あらすじにも書いたけどイーストウッドが演じるアールは元々園芸家で賞をもらったりしてて周囲から認められる存在だったわけですよね。まぁ、その分家庭をないがしろにしちゃったせいで家族からは存在を疎まれてしまっている。その仕事を失っていよいよ自分という存在を認めてくれるものがなんにもなくなってしまいました。そこに登場したのが麻薬を扱う犯罪組織なんですよ。彼らはちゃんと仕事をこなすアールを認め、報酬を払い「じいさんいいね!」なんてお褒めの言葉までかけてくれたりするわけです。アールの承認欲求満たされまくりですよね。

 

 さらに仕事内容がハイリスクなぶん彼らから得られる報酬はハイリターンのため、そうやって得たお金で色々な人を助けちゃうんですよね。それで「ありがとう!」なんて感謝されちゃう。そうなると、また稼いで周りを助けて感謝されていうサイクルが出来上がっちゃうわけです。こうしてアールは運び屋という仕事から抜けられなくなった、いや抜けられないというより自ら進んで続けていったと言ったほうがいいかもしれません。

 

 ここからわかるのは「人は誰かから認められたい」ということと、「認めてくれる対象がだれであれそれは嬉しい」ということだと思います。多分犯罪組織に入る人とかも、社会の中であんまり認められることがなくてそっちの世界の人に褒められたり認められたことがきっかけで入ってく人もいるんだろうなぁと。

 

アールのやったことは犯罪だしその罪は償わなければならないけど、その一方で孤独になればなるほど人は他人から認められたいのを改めて学べた映画でした。

 

 家族が大事という価値観は理解できるが………

仕事人間だった男が家族との絆を取り戻していくという過程を描くことで、人生における家族の大切さを訴えているのが本作だと思います。僕はこの価値観に対して賛同できるところもあれば「うーん………」と思ってしまうところもあるんですよね。

 確かに人生において家族は大事だし、夫婦円満で親も子も兄妹も仲が良いというのであればそれに越したことはないでしょう。ところが世の中には実に様々な家族があり、そのメンバーもまたさまざまです。家族間で衝突したり事件を起こしてしまうこともあるし、「結局のところ家族と言えど他人であるし、他人である以上すべてをわかりあうことはできない」というのもまた事実なのだと思います。だから僕は家族が大事だということはわかるけど、家族が全てではないということもこの映画を観ていて思いました。

 

 イーストウッドが演じたアールという人は、確かに仕事ばかりして家の外にばかり目を向けていたし外に認められることばかりを考えていました。そんな彼に対して家族が冷たい態度で接するのは仕方がないことだし、それは自業自得といってもいいのかもしれません。娘の結婚式をスルーして仕事に打ち込むぐらいですから、家族からしたら「もう知らない!」となるのも無理はありません。ただ、その一方で彼自身は「自分は家の中では役立たずだから」とも言っていて、家族との関係性において居場所のなさや居心地の悪さみたいなものを感じていたと思うんですよね。人間だれしも役に立っている感覚はほしいものですし。だからこそ、自分の力を発揮できて多くの人に役立てるであろう、家の外に目を向けそちらで評価されることを彼は望んでしまった。具体的には名をあげることや賞を受賞しすること、お金を稼ぐといったことに力を注いでしまったのかもしれないなと。そう考えるとアールのことを「非情な仕事人間」と完全に否定することもできないなぁと思いました。もちろん、彼の場合極端に仕事に振り切れてしまったからこそ、家族との関係が悪化してしまったのでその辺りもうちょいバランス取れていたらまた違う関係性になっていたんじゃないかと。ただ、そうすると今度は仕事で認められない可能性もあるわけで、その辺りはすごく難しいところですよね。

 

その辺りはおそらく人によって違う感想を持つと思うので、ぜひ本作を観て色々考えてみてもらえたらなと思います。

 

雑学

実の娘との共演

本作でクリント・イーストウッドが演じるアールの娘ジニーは、イーストウッドの実の娘であるアリソンが演じています。ジニーは家庭を顧みない父親のアールにすっかり愛想をつかしているんですね。イーストウッドもおそらく仕事人間であると思うが、そんな彼を娘アリソンはどのような父親と考えていたのか少し気になるところです。

 

まとめ

今回はクリント・イーストウッド監督、出演の『運び屋』という映画を紹介してみました。久々のイーストウッド出演作は自分にとって何が大切なのかを考えさせてくれるきっかけになる作品だと思うので、もし興味があればぜひご覧になってみてください。