今回も漫画『堂本ルール』から学んでいきます。今回は3巻に掲載されている内容から。
主人公堂本は秋葉台団地というところにやってきます。昭和の時代には栄えたこの団地も今では若者がいなくなり、年寄りばかり。かつての活気が嘘のように寂れてしまっているんです。
そこで、堂本は一人の少年と出会います。彼の名前は高志。高志は不良たちから連日のようにお金をせびられる始末。実の祖父の財布からお金を盗んでそれでもお金をせびられ続ける高志は追い詰められ、死んでしまいたいと思っていたのです。
そんなところにひょっこり現れた堂本。彼は追い詰められた高志に対して「1か月以内にさっきの不良どころかこの地区すべての不良をキミの手下にする。」と宣言をします。
いじめられっこの高志は当然そんな事を信じられるはずもないのですが、あまりにも堂々と言い切る堂本の姿に圧倒されて彼の言葉を受け入れます。そして、自分を不良のトップにしてくれるという堂本を自分の家に連れて帰るのです。
実は人にはそんなに差がないという考え方
高志の家にきた堂本は、「高志と不良たちの大きな違いは何なのか?」ということを説きはじめます。その大きな違いとは
「不良たちには根拠なき自信があって、高志には根拠なき劣等感がある」
ということです。では、なぜ不良たちには根拠なき自信があって高志には根拠なき劣等感があるのでしょうか?堂本はこう続けます。
彼らは小さい時からまわりの子供より
ほんのちょっとだけ体が大きくて気が強かった
まわりの子供らはそんな彼らに
ほんの少しだけ気を使う
高ちゃんの場合は逆だね
そんな立場を10数年続けた結果が・・・
今!
互いに何も違わないのに
違うのだと本気で思っている
『堂本ルール』第3巻 p74 著者 阿部秀司 秋田書店
つまり、実際には不良と高志に大きな違いはないのだけど、幼いころからのほんの少しの積み重ねがあって、それが自信がある人間と劣等感がある人間の違いになっているんだというわけです。
この堂本のセリフを読んだ時に僕は「確かに!!」と思ったんですよね。
実際世の中にはすごい人たちって沢山いるわけだけど、そういう人たちがすごいと言われるのって、「ある分野において人よりも突き抜けたものがあるから」すごいと言われるわけですよね。
サッカー選手ならサッカーのうまさだろうし、野球選手なら野球のうまさ、学者なら勉強が得意だったりとか。そういう得意分野において確かにその人たちってすごい人です。
ただ、そういう得意分野とかを取っ払って一人の人間として見た時に、「じゃあ自分と相手に人としてそこまで大きな違いがあるか?」って言ったら実はそんなに大きな差ってないんじゃないでしょうか?
まぁ、もちろん背が高いとか容姿がいいとかそういう違いはあるでしょう。そういうのが有利に働くっていうのは確かにあります。でも、人間としての能力を考えた時に、自分と誰かの能力が2倍も3倍もそれこそ10倍も違うなんてことはまずないわけです。
ただ、それが堂本の言うように、幼いころからの積み重ねによって高志と不良たちの間柄のように大きな差があるように感じてしまうわけですね。それこそ2倍、3倍、10倍自分よりもすごいと思い込んでしまっている。
あんまり他人のことをすごいと思い込まなくていい
もちろん、だからといって自分よりすごいと思う他人のことを「あいつなんか大したことないんだ」と見下す必要はありません。実際それで何か状況が好転するわけではないでしょうし、それは負け犬の遠吠えにも聞こえてしまうわけで。むしろ他人から学ぶべきところは学んだ方がいいでしょう。
ただ、今もし仮に「自分はダメでまわりの人たちよりもすべて劣っている」と考えている場合、それこそ堂本が「根拠なき劣等感を持っている」と断言した高志のような人がいるとしたら、実はそんなことはないんだと。
「あの人は自分よりもはるかにすごい人に見えるけど、実は自分と大して能力の差はない。」
こんな風に考えてみるといいんじゃないでしょうか?人としての能力に何倍も差があるわけじゃない。ただ、昔からの積み重ねの違いが出ているだけなんだと思えばいいわけです。別に人間としてあなたがメチャメチャ劣っているわけではないと思えば、劣等感に悩まされることも少なくなるはずです。
立場が人格を作る
では、いったいどうやって根拠なき自信をつけていけばいいのか?堂本は「立場が人格を作る」という考えの元、自分が自信を持てる立場に立てばいいと説くわけです。
作中、高志の団地はヤクザの地上げが行われ住民が次々と退去させられる事態が訪れます。そこで、堂本は高志に「あのヤクザたちを撃退すればキミは変われるぞ!」と言います。最初は躊躇する高志。そりゃそうです、ヤクザに立ち向かったりすればタダで済むわけありません。
しかし、彼は今の自分の立場を飛び越えヤクザに立ち向かっていきます。もちろん、叶うわけもなくぶん殴られて気絶させられてしまいます。ただ、これによって高志の立場は一変。団地の人たちからは「ヤクザに立ち向かった高志」として一目置かれるようになるわけです。
まぁ、もちろんね。これは漫画ですから実際にはこう簡単にはいかないでしょう。ヤクザに立ち向かうなんて誰にでも出来ることじゃあありません。
ただ、高志のように「無理だと思っていたことができた」とか「うまくいった」とかそういうことを積み重ねていく。それがやがて「根拠なき自信」につながっていくんじゃないかな?そして、少しずつ自信がついていけば周りの見る目も変わり、それなりの立場を任される、その立場によってまた「自分はできるんだ」という自信がついていく。そういういい循環を積み重ねていくわけですね。まさに立場が人格を作っていくというわけです。
なので、今もし自分に自信がないっていう人はちょっとずつでもいいので、何か成功体験を積み重ねてみてはいかがでしょうか?
年齢なんて関係ありません。今から少しずつでもやっていく。ほんのちょっとでもいいんです。その積み重ねで何歳からでも自信を持てるようになるんじゃないかな。(完全に僕自身にも言い聞かせてます(笑))
まとめ
そんなわけで今回は『堂本ルール』の第3巻から、同じ人間同士でそんなに差はないという考え方を学んでみました。今回の内容をまとめると
- 実は人間同士そんなに大きな差はない。
- 長年の積み重ねで、根拠のない自信を持つ人間と、根拠のない劣等感を持つ人間に別れる。
- すごい人がいても、自分よりも何倍も能力に差があるわけではないので、あまりすごいと思い込みすぎないことが大事。
- 根拠なき自信をつけるには「立場が人格を作る」という考えの元、自信を持てる立場に立てばいい。
という感じです。人それぞれ得意なことがあるし、逆に不得意なこともある。僕は人は得意なことをやっていけばいいと思うし、不得意なところばかりを見て「自分はダメなんだ」なんて責める必要はないと思ってます。
ただ、そもそも「自分はある程度できる」という自信がないと、何事もにもチャレンジできないのもまた事実。高志のように劣等感にまみれていると「何をやっても自分はダメなんだ」と思い込んでしまうかもしれない。
ただ、そうではないということは先ほどもお伝えした通りです。人間にそこまで大きな能力の差はないと。ただ積み重ねがそう思い込ませているだけなのだと。なので、今からでもいいので少しずつ積み重ねていく。できたこと、認められたこと、褒められたことを集めて「自分はやれるんだ」という根拠のない自信を積み重ねていくのがいいのではないかと思っています。
しつこいぐらい言いますが、ちょっとずつでいいんです。やっていきましょう。
それでは今回はこの辺で。