エンタメなしでは生きてけない!!

これは面白い!!これは人にすすめたい!!そんなエンタメ作品の紹介をしていきます!

『リチャード・ジュエル』ヒーローから容疑者になった男に何が起こったのか?

※このブログはアフィリエイト広告を利用しています。記事中のリンクから商品を購入すると、売上の一部が管理人の収益となります。

今回はクリント・イーストウッドの記念すべき40作目の監督作品『リチャード・ジュエル』について紹介します。

 

 

本作は1996年のアトランタオリンピックの時に起こった爆破事件で、英雄と呼ばれた男が一転して容疑者とされてしまう実話をもとにした作品です。アメリカでの公開は2019年、日本では2020年の1月17日から公開。

 

監督はクリント・イーストウッド。脚本はビリー・レイ。爆破事件の容疑者にされた男リチャード・ジュエルを演じるのはポール・ウォルター・ハウザー。リチャードの母バーバラをキャシー・ベイツ。リチャードの無実を証明するために奔走する弁護士ワトソン・ブライアントをサム・ロックウェル。爆破事件を追う女性記者キャシー・スクラッグスをオリヴィア・ワイルドが演じています。

 

あらすじ、概要

発端は1996年に開催されたアトランタオリンピックだった。リチャード・ジュエルはオリンピックが開催されている会場の近くの公園で警備の仕事をしていた。その公園でリチャードは爆発物を発見する。爆発物は爆発してしまい、死者2名負傷者100名以上の惨事となったが、リチャードや他の警備員たちの誘導もあり被害をかなり抑えることができた。リチャードの活躍を知ったマスコミは彼を英雄として取り上げた。だが、その後地元紙によってFBIがリチャードに疑いの目を向けていると報じられると一転、リチャードはまるで犯罪者であるかのように扱われ、彼の家には連日マスコミが押し掛ける。そんなリチャードの窮地に立ちあがったのは以前からの知り合いであった弁護士のワトソン。リチャードの無実を信じる闘いが始まった。果たして彼は無実であることを証明できるのか?

 

※ここからはネタバレありなのでよろしくお願いします

感想

真実よりも面白さを求めてしまうことの危険性を描く

本作は1996年のアトランタオリンピックの時に起こった爆破事件と加熱するマスコミ報道の様子を描いています。これ、20年以上前の出来事なんだけど正直今と変わらんよなーと思いました。今も昔もマスコミは話題性や面白さを重視して報道しているんだなと。まぁ、テレビであればいかに視聴率をとるかが求められるし、新聞であれば部数の売り上げを伸ばすかをどうしても重視してしまうのでそこは仕方がない部分なのかもしれません。それがフェイクニュースに繋がったりするわけですけど。

 

もちろん、それはそんなマスコミの報道に煽られてしまう僕ら一般の人たちへの批判にもつながるわけです。なぜなら僕ら自身が面白さを求めてしまっている部分があるから。面白さを求める大衆がいるから、その求めに応じてマスコミも面白さを重視して報道をする。そうした負のサイクルが成り立っちゃってるわけですよね。マスコミを批判することももちろんなんだけど、同時に自分たち情報を受け取る側の姿勢というのも考えさせられる映画だなと思いました。

 

人々の変わり身の早さを批判

リチャードは爆破事件からみんなを救った英雄から一転して容疑者になってしまいます。すると昨日まで褒めたたえていた人たちが一斉に彼を誹謗中傷するんですね。これも今の時代に通ずるものがありますよね。

 

ある人に対して「素晴らしい!!」と持ち上げたかと思いきや、その人がちょっと失敗したり過ちを犯したことが発覚すると「ふざけんな!!」と奈落の底に突き落とす。特に今の時代はみんながSNSを使うようになり、人の変わり身の早さがよりわかりやすく可視化されていると思います。

 

そして、まるでイナゴの大群のようにバーッと対象に群がったと思いきや、今度はまた別の人を持ち上げ貶めていく。そんな様子が描かれる本作を見ていると、数十年経ってもマスコミや僕たち自身は成長していないのではないかと思い知らされますね。

 

思い込みに捉われることの危険性もよく描かれている

死者も出した爆破事件ということで、捜査はFBIが担当することになります。ここで彼らはプロファイリングを活用して捜査を行います。

 

プロファイリングとはざっくりいうと、過去に起きた犯罪のデータから「こういう事件はこういう特徴を持った犯人が起こす可能性が高い」と推理するものです。

 

 

プロファイリングは捜査において犯人の目星を付けるという点で役に立つものだとは思いますが、その一方で危険性もありますよね。なぜなら思い込みに捉われてしまうこともあるからです。

 

リチャードの場合もまさにそうで、彼は肥満安い給料で働く警備員で母親と暮らしていて、過去にちょっとした事件を起こしたりもしています。そうした特徴から「事件を起こした可能性が高い」と疑われてしまうわけです。これって恐ろしいことですよね。最初から答えが用意されていて、そこに当てはまるからリチャードがやったんだと決め付けている。物的な証拠がないにもかかわらずですよ。それも巨大な力を持つ天下のFBIがそんな捜査をするわけですよ。僕は観ていてほんとにゾッとしました。

 

 

そして、そんなFBIの決め付けや思い込みによる捜査を見ながら思うのは、「僕ら自身も思い込みや決めつけをしていないか」っていうことです。例えばある事件で捕まった人がいたとしてその人の顔がバッと映し出されたときに「なんか犯罪しそうだよね」って言っちゃう人いるじゃないですか。でも、これには根拠はなくて完全な決め付けでありレッテル貼りなわけですよね。僕らの中にも無意識のそうしたどこか人にレッテルを張ってしまうような危険な考えが潜んでいることは否定できません。

 

イーストウッド監督は本作を通じて、こうした決めつけやレッテル貼りはマスコミやFBIなどの権力を持った人たちだけの話じゃない。この映画を観ている僕らの中にあるそうした心理も浮き彫りにしています。観ていてハッとさせられるそんな作品だったと改めて思いますね。

 

権力を妄信することは危険である

本作は力のある者たちを妄信することの危険性を描いています。マスコミにせよFBIにせよ一般人に比べればはるかに力を持った存在です。中にはそうした人たちのことを疑わず頭から信じてしまう人たちもいるかもしれない。ジュエル自身も警官や捜査官に憧れていたし権力には従うものだと考えていましたからね。なんせ彼の家には保安官補(保安官の下で仕事をする人)の時の写真がデーンと誇らしげに飾ってありますから。なので、最初は明らかにおかしい捜査をするFBIの捜査官たちにもやたらと協力的なんですよね。それもこれも、そうした権力や権威に対して過剰なまでの信頼や抱いているからです。まぁ、本作の出来事を通じてその考えを改めていくわけですが。

 

心理学的にも権力とか権威の言うことに従いやすかったり、影響されやすいなんてことは言われています。それは誰しもそうで白衣を着たお医者さんがそれっぽいことを言っていればつい信じてしまいますし(たとえそれがニセ医者でも)、立派な肩書を持っている人の言うことは「そうなのかもな」となってしまうものです。

 

でも、いくら権力があろうが立派な肩書を持っていようが明らかに間違っていることをするわけですよ。僕らは日ごろからニュースなどを通じてそんな場面を嫌というほど見てきているわけじゃないですか。検察が事件をでっちあげたりとか、政治家が名簿破棄しましたみたいなこと言ってごまかしたりとかね。

 

なので権力のある人たちであろうと妄信する必要はないし、むしろ間違うことやおかしいこともやるという疑いの目を向けなければならない。本作はその必要性について改めて気づかせてくれたなと思います。

 

本作はこんな人におススメ

  • 超人ではなく一般の人を描いたドラマが見たい
  • 実際にあった事件を基にした作品が好き
  • 社会派ドラマが好き

 

まとめ

今回はクリント・イーストウッド監督の『リチャード・ジュエル』を紹介してみました。お話自体はスーパースターが云々とかではないので、どちらかというと地味だと思います。ただ、つらつらと感想を書いたように今の社会の様々な問題を浮き彫りにする非常に見ごたえのある作品だと思います。興味がある方は是非ご覧になって観てください。