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僕が『えんとつ町のプペル』で泣けなかった理由を考えてみた

つい先日、西野亮廣さんが製作総指揮、原作、脚本を務めた映画『えんとつ町のプペル』を観に行ってきました。

 

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Twitterを眺めていると「泣けた!」「感動した!」みたいな感想が時々流れてきていたし、日本アカデミー賞の優秀アニメーション作品賞も受賞していたりと評価も上々。そんな評価に後押しをされて劇場へと足を運んだわけです。

 

ただ、結論から言いますと僕は泣けなかった。僕が普段から全然泣かないかというとそうじゃない。映画を始め漫画とかアニメとかでも泣くことは多いし、なんなら前日に読んだスラムダンクの漫画やアニメでも泣いてるし、プペルの後に見た鬼滅の映画でも泣いてます。どっちかというと泣きやすい方だと思うんですよね。ところが世間では「泣ける!」と言われているこの『えんとつ町のプペル』では泣けなかった。それはなぜなのか?

 

もしかしたら僕が単にひねくれているだけなのかもしれないとも思いました。だけど、「いやっ、それだけじゃねぇよな」と。僕がひねくれている以外にも、この映画には僕が泣けない明確な理由がありました。そのことを今回は書いていこうと思います。

 

ネタバレありなので、映画観てないしこれから観るって人はここで引き返してください

 

あと、本作のストーリー知らんって人は公式のホームページにあらすじ書かれてるので、そっち見てもらえるといいかと思います。

 

『映画 えんとつ町のプペル』公式サイト | 大ヒット上映中!

 

 

あれ?とかなぜ?という疑問が最後まで拭えなかった 

何かの作品を観て泣くということを考えた時、「その作品の世界に違和感なく入り込めるかどうか」がすごく大事だと思います。

 

現実ではない作り物の世界だろうと、「ああ、この世界はこういう風にできているんだな」「この世界の人たちはこういう理由で行動しているんだな」と腑に落ちる感覚というんでしょうか。それがあるから余計なことを考えずに登場人物たちの想いに共感し感動できると思うんです。

 

ところが、本作『えんとつ町のプペル』においては「あれ?これどういうこと?」という疑問や違和感が次から次に出てきて、正直そっちに気を取られてしまった自分がいました。他愛もない疑問から「これはちょっとスルーできないかも」というものまで。具体的にどの辺が気になったのかを羅列していきます。(映画観てない人はなんのこっちゃだと思いますが)

  • お尋ね者のプペルをルビッチが自分の職場に連れてきて紹介するの無謀じゃね?(職場の全員と友達というわけでもないのに)
  • アントニオくんがあれだけムキになってプペルを殴る理由がわからない。星を見たことで、自分がいじめられたり異端審問官に家族がひどい目に合わされたみたいな酷い目にあったならわかるが…
  • えんとつ町の煙は空を覆ってるけど、あんなに都合よく自分たちの街の頭上にだけ煙って留まるの?(強風とか嵐とかない?)
  • えんとつ町のえんとつは煙を出すためだけに存在してるの?だとしたらさすがに誰かおかしいと思うのでは。そして、どうしても星を見せたくないための方法としては不確実すぎるのでは?
  • ルビッチのお父さんあんなにガタイいいのに喧嘩弱すぎね?
  • お父さんが死んだのはわかるけど最期がすごくあいまいな感じ。
  • プペルが船を呼べるのはどういう理屈?
  • そもそも外の世界を町の住民に知られたくないのに、海の存在も知られちゃダメじゃね?
  • 怪我したダンさんはどーなった?
  • ダンさん狙ったあの人はどーなった?
  • 船を空に飛ばすなら最初から、ロープは外しておいてよくない?(船は完全に浜辺に打ち上げられているので、波にさらわれることもない)
  • 船飛ばさず気球で空まで爆弾飛ばして煙を吹き飛ばすのではダメだったの?
  • ルビッチやプペルに協力したえんとつ掃除屋たちが立ち上がった理由が?だった。その前にボスのダンさんがプペルのせいで狙われて怪我したってことで、ルビッチとの関係が悪くなってたのに。
  • 異端審問の人たち弱すぎない?ルビッチの同僚の煙突掃除屋たちや街の住人たちに制圧されちゃう。武器も棒みたいなやつでまるで脅威に感じない。銃火器とかはこの世界にはない感じ?(でも、火薬はあるしなぁ)
  • ルビッチが船の上で自分の思いをみんなに語るシーン。なんで敵側のはずの異端審問官たちも黙って聞いてるの?彼らはなんとしてもルビッチやプペルたちが船で空を飛ぶのを防ぎたいはずなのに…

 

とまぁ、こんな感じです。多分僕が覚えていないだけで、何度も観た人や映画を専門的に観る人ならもっと違和感や疑問を感じた箇所はあったはず。

 

他にも劇中、それぞれ違うアーティストたちのメッセージ性のこもった曲が挿入されて、「歌を聞かせたいのか、登場人物たちの行動を見せたいの?」と思ったり、アーティストがそれぞれ別々なので、情報量が多いなぁと感じたりとか。

 

こうした「あれ?なぜ?どうして?」という箇所があまり間を置かずに出てくるので、物語に入り込めず、結果的に泣けなかったのだろうと思います。

 

あまり難しいことや細かいことを考えずに楽しめよ問題

さて、こういうことを書くと「あんまり難しいこととか細かいこと考えるなよ」とか「もっと純粋に作品を楽しめばいいじゃん」という人もいると思います。でも、映画の楽しみ方は人それぞれで誰かに指図されることでもないはず。僕は映画の作り手でも専門的に学んだ人間でもないけど、疑問や違和感を感じたらそこは「なぜなんだろう?」と考えたいし、おかしいところはやっぱりおかしいと思う。作中でその疑問や違和感が解消されない状態が積み重なっていけば、やはり作品の世界に没入するのは難しいなとも思います。もちろん、僕の楽しみ方が全てであるはずもないし、僕も誰かに映画の楽しみ方を指図することもありません。各々が各々の楽しみ方で作品を楽しめばいい。

 

ただ、あまり難しいことを考えるな、細かいことを考えるなという人にはこう反論させてもらいたい。

 

「僕のような素人にこれだけ疑問や違和感を持たれるのは、やはり問題があるのでは?」

 

疑問や違和感を持つなよというのであれば、疑問や違和感を持たれないように作ればいい。別に僕は西野さんのアンチじゃないので、重箱の隅をつっついてやろうとか、揚げ足を取ってやろうなんて気持ちはさらさらありません。単純に映画を楽しみたいし、泣ける映画ならめっちゃ泣きたいです。でも、そんな僕ですらちょっと映画を振り返っただけで様々な疑問や違和感が出てきたわけで、それは問題なのでは?と思ってしまう。

 

そして、僕以外にもこの映画を観て「なぜ?」とか「おや?」とか「あれはどういうこと?」という疑問や違和感を持った人はいるでしょう。それゆえ作品世界に没入しきれずモヤモヤしたり、「なんか感動できなかったし泣けなかった」という人もいるはずです。それは映画の作り手として問題視するべきだと思います。

 

なぜ問題視するべきか?それは目的を果たせていないからです。映画は「作品を通じて何か伝えたいことがある」からわざわざお客さんに見せるわけですよね?そのメッセージの表現方法として映画がある。ところが作中で「あの場面おかしくない?」とか「この人物の行動が理解できない」みたいなのがドンドン出てくると、そのメッセージを素直に受け取れないんですよ。ノイズが入っちゃってそっちに気を取られちゃう。それは映画の作り手として問題視するべきだしスルーしちゃダメだと思うんです。

 

だから、僕は「難しいことや細かいことを考えるな」という意見には「俺はそうは思わない」とこれからも言うし、「いやっ、むしろ感動させたり映画で人を動かしたいなら、そういうこと考えさない作品を作るのが作り手の役目なんじゃない?」と言いたい。

 

まとめ

そんなわけで、今回は僕が『えんとつ町のプペル』で泣けなかった理由について書いてみました。超端的にまとめると「作中に疑問や違和感が多かったから」というそんだけの理由です。ここだけ読めば十分ですね(笑)

 

 

これは別にプペルに限らずどんな作品にも言えると思います。ノイズが多くなると感動とか泣くよりも「これは一体どういうことなんだ?」という方に意識を持ってかれてしまうし、モヤモヤが勝ってしまいます。

 

とはいえ、今回僕はこの映画で泣けなかったというだけであって、この作品を楽しめなかったかというとそんなことはありません。鉄コン筋クリートなどを手がけたSTUDIO 4℃さんによる映像クオリティはさすが。煙に覆われたえんとつ町の風景や、黒や青、紫など幻想的な星空の輝きには思わず目を奪われましたし、トロッコなどのアクションシーンはまるでアトラクションを体験しているかのようで、とても楽しめる場面でした。(ちょっと長くは感じたけど)

 

その辺も含めて、「えんとつ町のプペル気になるわー」って人いたらぜひ劇場まで足を運んでみてください。

 

ではまた!!