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手塚治虫先生の仰天エピソードを紹介する。

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先日、とあるテレビ番組でマンガを特集してました。

 

その番組ではあのマンガ界の神様、手塚治虫先生の仰天エピソードが紹介されてたんですよね。手塚先生と言えば、ものすごい情熱をもってマンガやアニメを制作された天才漫画家として知られています。

 

先生は歴史に残る作品を数多く生み出していますが、作品を生み出してきた先生自身のエピソードもこれまたすごい!!いやっ、ものすごい!!他の人にも教えたい!!ということで、今回は僕が見たテレビ番組で紹介されていた手塚先生の驚きのエピソードを書いてみようと思います♪

 

全部覚えてる?

まず一つ目は、手塚先生がブラックジャックを連載していた時の話。

 

先生はアメリカ出張に行く予定で、本来であれば出張前に原稿を完成させていなければならなかったんです。ところが、多忙を極めたせいか原稿はまったくの手づかずのままで、手塚先生はそのままアメリカに旅立ってしまったんです。当時の担当の人の衝撃といったらなかったでしょうね‥‥‥。

 

もちろん、アメリカに行こうが何をしようが締め切りは近づいてくるわけです。そんな時先生はどうやってこの危機を乗り越えようと思ったか?先生はある作戦を立てるんですね。それが驚きの発想なんですよ!!

 

なんと、日本にいる自分のスタッフに背景だけを描いてもらい、アメリカにいる手塚先生はキャラクターを描いて、それを日本に戻ってきた時に貼り合わせて原稿を完成させるってことを思いつくんです。

 

確かにこれなら締め切りまでに原稿を完成させることができるかもしれません。でも、問題がありますよね?

 

「どうやって、日本にいるスタッフに背景を描かせるのか?」

 

っていう問題です。今ならスカイプで直接スタッフとやりとりしてもいいし、ファックスで原稿を送ることもできるからさほど問題にはならないでしょう。

 

ところがこの話は1980年のことですから当時は今のようにネットもないし、ファックスだってない時代です。先生の頭の中には背景のイメージがあるでしょうが、それをスタッフに伝える術が電話ぐらいしかないわけです。はたして口頭で伝えるのみでどこまで正確な背景を描かせることができるでしょうか?はっきり言って無理な話ですよね?

 

ところがここからが先制の超人たるゆえん。ビックリするやり方でスタッフに背景を描かせます。

 

まず日本にいるスタッフに電話をかけます。そして1ミリ方眼紙を用意させて先生はこう指示を出すんです。

 

「まず、方眼紙の1番上、左5㎝のところから右2㎝のところに線を引いてください。その線を3等分して‥‥‥。」

 

スタッフが先生の指示に従って線を引いていくとそこにはマンガのコマ割りが!!そこからコマごとの背景の指示をしていきます。

 

 「事務所の真ん中の本棚の1番下の段に三つ目がとおるがあるでしょ?」

 

スタッフの方が指示された通り事務所の本棚を調べるとそこには確かに三つ目がとおるが。先生の指示は続きます。

 

「右から3冊目の12ページを開いてください。」

 

スタッフは指示されたページを開きます。

 

「そこに学校の廊下の背景があるでしょ?」

 

確かにその廊下の背景があります。先生はその背景を少しずらして階段を描かせます。これで1コマ目の背景が完成。

 

先生はこのように、自分のこれまでの作品の背景をうまく活用することで、スタッフに背景を書かせることに成功したというわけです。このエピソードの何がすごいってね。

 

「手塚先生は事務所のどの本棚の何段に何のマンガが置いてあって、そのマンガの何巻何ページに何が描いてあるのかをぜーんぶ覚えていたっていうことなんですよ!!」

 

おそろしい話じゃないですか?しかも、先生の作品数ってのはそんじょそこらの作家と比べものにならないぐらい膨大な数なんですよ。それにも関わらず作品の背景などを覚えてるって‥‥‥手塚先生、あなたは怪物ですか?ドラえもんの暗記パンを毎日食べているのですか?って思わずツッコミを入れたくなるぐらいの驚きでしたよ。

 

そんな先生の超人的な能力のおかげもあって、日本に帰国後ブラックジャックは何とか締め切りギリギリに完成します。おそろしや。

 

亡くなる直前に語った言葉がすごかった。

 

手塚先生が亡くなったのは1989年。がんを患ってしまったんですね。体調を崩して入院をしていましたが、先生は病室のベッドの上で病と戦いながらもマンガを描くことをやめませんでした。

 

ですが、病は確実に進行。ついに限界を迎えた病室のベッドで家族に囲まれながら先生は最期の時を迎えます。この時に先生が語った言葉はまさに手塚治虫という人を表しているのだと思います。その言葉とは‥‥‥

 

「頼む、仕事をさせてくれ。」

 

す、すごい‥‥‥。死の淵でこんな言葉を言ってしまうほどマンガへの思いを持ち続けたんですね。はたしてどれだけの人が死ぬ間際までこれほど仕事に対して情熱を絶やさずにいられるでしょうか?僕にはとても無理だ‥‥‥。

 

先生が亡くなったのは60歳。早すぎる死だと思います。先生があと20年生きていたらはたしてどんな作品を残していたのか、今の時代を見てどんな事を思ったんでしょうかね。今の時代を反映した作品を残してほしかったなぁ‥‥‥。

 

まとめ

というわけで、今回は「手塚治虫先生の仰天エピソード」を紹介してみました。もちろん、先生のびっくりエピソードはまだまだたくさんありますので、また追々紹介していきます。また今後は他のマンガ家の先生たちのお話なんかもお伝えしていければなんて思っています♪

 

あっ、ちなみに今回紹介したブラックジャックのエピソードは、僕が以前書いた記事で紹介した『ブラックジャック創作秘話』という本により詳しく描かれているので、興味がある方はご覧あれ♪

 

参考記事:ブラック・ジャック創作秘話読了。手塚治虫先生のぶっ飛びエピソードは色あせない!! - エンタメなしでは生きてけない!!

  

それではまた!!